『創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。』
(芥川龍之介『侏儒の言葉』より)←ってネットに書いてあった(キリッ

・『ふーこと!』目次
1)『ふーこと!』という名前とページの存在理由(2010/8/22)

---以降、更新順に並び替えしました--

60)後悔するクセを治すのを辞めた理由(2016/6/28)

59)鬱、ないしその予備軍の人のストレス対処法が、健常者の真逆になっていると思う理由(2015/12/3)

58)"起床時間を固定する事で不眠症状を改善する法"を二週間試した結果を書く理由(2015/10/20)

57)ズル休みに感動した理由(2015/8/14)

56)安保法制に関して思う事をまとめておく理由(2015/7/16)

55)不幸をただそのまま”不幸”と捉える事が大切な理由(2015/4/9)

54)つらつらつら(2015/3/5)

53)最近の私が言いたい事をまとめられてしまったので載せておく理由(2015/1/28)

52)邦人殺害予告の被害者の母親が発表したコメント全文をコピペしておく理由(2015/1/23)

51)邦人殺害予告から見る最も危険な者達を紹介する理由(2015/1/21)

50)孤高という生き方をオススメする理由(2014/11/7)

49)消防訓練で感じた事を書いておく理由(2014/11/2)

48)チャリティー番組「24時間テレビ」に感動出来ない理由(2014/8/31)

47)「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊被告の『最終意見陳述』のまとめへのリンクを貼る理由(2014/8/28)

46)「マイルドヤンキー」という発想に共感出来る理由と、そこから見える「低学歴の世界」を語る理由(2014/8/27)

45)ガンダムオンラインに冷めた理由(2014/8/13)

44)「無敵な人」を止める方法を真剣に考える理由(2014/7/18)

43)田舎のコミュニティがクソ以下だと確信した理由(2014/7/18)

42)田舎のコミュニティに文句を言いに行った理由(2014/7/6)

41)本を買う時に考える理由(2014/7/1)

40)武力行使容認を支持する理由(2014/7/1)

39)サッカーを「土人球蹴り」と差別する理由(2014/6/12)

38)最近の歌が大嫌いな理由(2014/6/3)

37)憲法9条改正に私が賛成する理由(2014/5/3)

36)年中マスクが手放せない理由(2014/3/25)

35)民主主義というものに対する見解を改めて書いておく理由(2013/12/6)

34)捨て艦戦法をそこまで叩かなくて良くないかね、と思う理由(2013/11/6)

33)PSO2をやっぱり休止する当然の理由(2013/11/6)

32)PSO2の休止を撤回するたった1つの超重要な、世間でも結構騒がれている理由(2013/9/16)

31)PSO2を休止するたった1つの重要な、それでいて世間では騒がれていない理由(2013/9/11)

30)3/11を迎えたら皆が「原発のせいで帰れない」と歌いだす事が納得出来ない理由(2013/3/11)

29)札束で殴りあうゲームが流行る理由(2013/2/18)

28)「喧嘩両成敗」という言葉が今なお嫌いな理由(2013/1/31)

27)俗にいう”ケータイゲームSNS課金の問題”を見た後に、何か欠けていると思う理由(2012/5/9)

26)自殺に対して「死ぬ気になれば何でも出来る」って単語を聞く度に「そうじゃねーんだよ」と思う理由(2012/5/9)

25)東北のボランティアに行きたくない理由(2011/6/29)

24)最近、ライトノベルを読まなくなった理由(2011/6/29)

23)この状況の中、マスコミを叩く理由(2011/3/17)

22)トイレの神様が売れている現実がちょっと嫌な理由(2011/1/13)

21)今回のキャンペーンをお流れにした理由(2010/11/26)

20)最近こんな事を思う理由(2010/11/23)

19)最近の私のMMOプレイが廃人と思われてそうだ、と感じる理由(2010/11/22)

18)猛獣と比べられても困る理由(2010/11/22)

17)尖閣ビデオ流出を別方面で疑う理由(2010/11/5)

16)こんなゲーム作った理由(2010/11/5)

15)なんでも低コストにしたらマズい理由(2010/10/26)

14)ネタクラスが楽しい理由(2010/10/17)

13)国勢調査に参加する理由(2010/10/17)

12)大事な事なので何度も言う理由(2010/8/23)

11)GMやってる時に考える事の優先順位とその理由 をちゃんと書いてみた(2010/8/22)

10)若者叩きをAAで説明できちゃう理由(2010/8/21)

9)ダメに なーりーそうなーとーき! それはー なにしてもダメー♪ と思う理由(2010/8/21)

8)『アリとキリギリス』が違う話になっちゃう理由(2010/8/18)

7)平等とか普通って言葉が大嫌いな理由(1990年台頃)

6)GMやってる時に考える事の優先順位とその理由(2010/8/20)

5)”初心者マークは恥ずかしい”なんて発想自体がおかしい理由(2010/8/20)

4)他人の腹を探っても仕方がない理由(2010/8/20)

3)適当に生きればいいと思う理由(2010/8/20)

2)「感想が欲しい!」と嘆いてはいけないたった一つの理由(2010/8/20)

999)ここに一枠残している理由(2010/8/18)
・『ふーこと!』という名前とページの存在理由
『ふーらいの思う事』の略称。感じた事、思った事でトップに書く程でもない事を淡々と増やすページです。
基本的にはつぶやき会場であり混沌属性。twitter側で発言したものをまとめたモノも含まれています。
何か考えたら増えます。感じたりしても増えます。あぁん///

ただし「トップに書く程でもない事」である為、貴方の精神を悪い意味で蝕む恐れがあります。
ほとんど面白がないのも劇的要素。なのにふざけてます。背景とか。
これ私超面白いと思ってやってますから。ようは悪ふざけですね。
一応最初に目次を付けておいたので、ヤバそうなのはスルーを推奨します。

個人的には、このページは私の思考の『塊』です。
何かをキッカケに思った事をゴロゴロと転がしていくうちに出来上がった謎の物体をうpするイメージ。
それは他者から見てゴミまみれの大玉なんだけど、たまーに自分の欲しいものが入ってる。
これを見ている人には、そのたまに欲しいものを引っこ抜いて欲しいかもしれません。ただし、大半はゴミだと思います。

ちなみに、四文字に略したのは「よつばと!」「けいおん!」などが売れているからに他なりません。
四文字+!にすれば六兆八千億アクセスくらいは期待できると信じています。

では、以降適当に読み飛ばせ! 口の中パッサパサになれ!
・後悔するクセを治すのを辞めた理由
一生治らないわこれ。
ついこの間もネットラジオで3回は後悔したし、昨日今日も仕事で2回ずつ後悔の念に苛まれた。

私はすぐに後悔するクセがある。
ああすりゃ良かった、こうしなけりゃ良かったと思う事が毎日のように起こるし、それで気分は滅入る。
色んな所で「後悔しない方法」だの「やらない後悔よりやる後悔」だの「if文の無意味さ」だのって言葉が見えるのだが
絶賛後悔中のこっちからすりゃ「うるせー!こっちは御託はいいからやり直したいんだよ!」ってしかならない。
自覚はあるけど治せない――重症なのである。

私も多少は心理面に理解があると思っているので、この治らなさは根本的な、後悔に関するトラウマがあるのではと疑った。
そう思い胸に手を当てると、思い当たる節しかない。
あの時こうしとけばみたいな過去の記憶が出てくる出てくる。
この根本を治療する方法は、その時間に戻るしかない。戻って別の選択肢を選ぶしかない。そして、んな事は無理だ。

それが最近は「ああ、もう私は後悔病末期患者だから諦めよ」って気分になってきた。
例えば、未だにアレルギーは治せない。あれと同じだと。一生後悔して生きるんだろうなと思うようになった。
このクソ面倒くさい性格特性は、一昔前に持て囃された「個性」というモノなのかもしれない。

こんな文章を書く今も、三日前の後悔の記憶が残ったまま。だが、前より少しだけ気分はマシだ。
「一生治らないのだ」と思うと、不思議と気分は悪く無い。普通、治せないとなれば絶望しそうなものなのだが。

無論、人にオススメ出来るような手段ではないし、私がここに至るには経緯がある。
つまり、後悔する性格を嫌だと思い、それを治そうと試行錯誤を繰り返し、やっぱりダメだったという歴史だ。
最初から諦める事は、結論は同じだが意味が違う。この結論を導く過程に大きな意味があるように思う。

という話で2016年初めてなんだが、今年はそれだけ気分を害していないという事になるな。いい事だ。
・鬱、ないしその予備軍の人のストレス対処法が、健常者の真逆になっていると思う理由
鬱、ないしその予備軍な人の思考、発想の持ち主には余力がないから。
――と言っても、今回のは結論だけじゃ意味不明なのでちゃんと前置きから書く。

まず、私達は生きている限りストレスに晒される。ストレスとは、何も悪い事だけではない。
何かしらの変化があればそれはストレス。正確にはストレス要因の事をストレッサーと呼ぶ。
ストレッサーは仕事や人間関係の悩みでもそうだが、より良い職場への転職や、幸せ絶頂の恋愛や結婚も該当する。
心に何かしらの外的要因、すなわちストレッサーにより変化が現れる、これを現代ではストレスとまとめられている。
ストレッサーが原因で起こる反応は様々だ。
鬱を始めとする多様な精神疾患はもちろんだが、逆に偏頭痛、過敏性腸炎等の身体症状に出る場合もある。

では何故、我々は生きている限りストレッサーだらけなのに生きていられるのか。
それは、ストレスを発散しているからだ。当たり前だが、当たり前の話を今しているので気にしないで欲しい。
これをコーピングと呼ぶそうだ。
コーピングには二種類、問題焦点型と情動焦点型とがある。

問題焦点型とは、ストレッサーそのものの除去や軽減を行う行為の事を指す。
面倒な仕事を優先的に片付ける、億劫な電話対応をさっさと終わらせるといった物理的な除去や
緊張する会議に対し「意見を言う貴重な場だ」「ステップアップの機会」等と思考を見直す精神的な除去も該当する。
ストレッサーそのものに対応する為、効果が上がるものに対しては非常に有用なスタイルである。
しかし、一方でこの世にはどうにもならないストレッサーが存在する。
朝の満員電車が耐えられない、隣人のマナーが悪いが犯罪とは言えず踏み込めない等には扱い辛い。
また、問題そのものが除去出来るならそもそもストレッサーとして存在していない事も少なくない。
先述の仕事、億劫な電話はそれが嫌だからストレッサーになっているわけだ。
つまり、問題焦点型は精神的にも肉体的にも、一定以上のエネルギーが必要となる。

もう一方の情動焦点型は、ストレッサーへの対処は一旦置き、気分や体調を整えてエネルギーを回復する行為だ。
私で言えばゲームが該当する。他、飲酒、喫煙、ギャンブル、カラオケ等、趣味や遊びにより気分を切り替える。
問題焦点型と違い、どんなストレッサーが相手でも採用出来るのが強みで、しかもさほどエネルギーを必要としない。
ただ、ストレッサーそのものに働きかけない為、回復した後は問題焦点型に変更しないといけない案件が多い。
何より、気軽に取れてしまう対処法故、あまり乱用すると依存症に発展する。アルコール依存症等がそれだ。

まとめると
問題焦点型は、エネルギーがある時に取り除けるストレッサーを除去、及び軽減する。
情動焦点型は、ストレッサーの除去及び軽減が不可な場合やエネルギーがない時に、それを別の何かで補う。


ここからようやく本題になる。
鬱やその予備軍の思考や思想を持つ人は、これが逆転していると思うのだ。つまり
エネルギーが足りない時や、ストレッサーが取り除けない時に問題焦点型を採用し
エネルギーが有り余り、ストレッサーの除去や軽減が可能な時に情動焦点型を採用している
ように見える。
最初の通り、我々はこの2つを上手く扱って生きている。使い方を間違えているなら当然、ストレス反応は大きくなる。

一応、これには想像出来る理由がある。
日常から精神的エネルギーが少ない人は、エネルギーがない、つまりテンションががっくし下がっている時に
趣味や遊びすら楽しめず、これ以上のストレスを全て回避したい、という強力な危険回避欲求が生まれる。
結果、そのストレッサーの内容を問わず、意地でも問題焦点型の行動を取る。
逆にエネルギーが有り余る、つまりテンションの高い状態になると
そうなって初めて趣味や遊びが楽しくなり、その楽しさでストレッサーの存在が希薄になってしまう。
結果、ハイテンションな間に情動焦点型でエネルギーが無くなるまで活動してしまう――のではないだろうか。
当然これは私の想像ではあるが、同時に私の体験でもある。精神的に低調な時期、私は書いた通りに逆だった。

何が言いたいかという結論が、ここまで書いてようやく出るのだが
ストレッサーに対するコーピングを見直さないと、鬱方面に精神が向く人は永遠に治らない。
投薬治療で一時的に底上げが出来ても、対処法が真逆のままでは結局また落ちる。
最初に書いた通り、我々はストレスを避けて生きる事は叶わないからだ。
認知行動療法、という言葉を出す以前かそれそのものなのか、とにかく発散法の間違いを是正する必要がある。
ここをやらないままにすると、周囲がどんなにサポートしても全部徒労に終わりかねない。

例えば同じ嫌な仕事があるとする。
正常なコーピングが行える人であれば、それが嫌な仕事でも精神や身体への影響を最小限に抑える事が出来る。
一方で間違っている人は、普通ではそんなに嫌な仕事ではない仕事でも、精神や身体に多大な影響を及ぼす。
同じストレスでも人によって反応は千差万別だが、コーピングを間違う人は確実に余計なダメージを負う。

これを見て「自分は間違っている」と認識出来る人はまだ良好な方だろう、とも言えるかもしれない。

最後に、これを書くキッカケはこれ。
19歳男性、バイト始めて4日目に従業員にしかられ遺書を書いて自殺…両親が提訴
(痛いニュース(ノ∀`)様)

ストレス反応は人それぞれだ。その人の置かれた環境、成長過程、遺伝すら関与する。
しかし、そのダメージを軽減する法を探そうともしないのは、他者からゴミクズに見えても仕方ないかもしれない。
いや、言い方が曖昧だ。私にはゴミクズに見えるとしっかり書いてこの項を終わる。
・”起床時間を固定する事で不眠症状を改善する法”を二週間試した結果を書く理由
ネットラジオでちょこっと「結果が出たらふーこと!に書く」と話したから。以上。

以下は、睡眠障害への対処法として、厚生労働省の研究班が発表した12の指針である。

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1)睡眠時間は人それぞれ、日中の眠気で困らなければ十分
 睡眠の長い人、短い人、季節でも変化、8時間にこだわらない
 歳をとると必要な睡眠時間は短くなる

2)刺激物を避け、眠る前には自分なりのリラックス法
 就床前4時間のカフェイン 摂取、就床前1時間の喫煙は避ける
 軽い読書、音楽、ぬるめの入浴、香り、筋弛緩トレーニング

3)眠たくなってから床に就く、就床時刻にこだわりすぎない
 眠ろうとする意気込みが頭をさえさせ寝つきを悪くする

4)同じ時刻に毎日起床
 早寝早起きでなく、早起きが早寝に通じる
 日曜に遅くまで床で過ごすと、月曜の朝がつらくなる

5)光の利用でよい睡眠
 目が覚めたら日光を取り入れ、体内時計をスイッチオン
 夜は明るすぎない照明を

6)規則正しい3度の食事、規則的な運動習慣
 朝食は心と体の目覚めに重要、夜食はごく軽く
 運動習慣は熟睡を促進

7)昼寝をするなら、15時前の20〜30分
 長い昼寝はかえってぼんやりのもと
 夕方以降の昼寝は夜の睡眠に悪影響

8)眠りが浅いときは、むしろ積極的に遅寝・早起きに
 寝床で長く過ごしすぎると熟睡感が減る

9)睡眠中の激しいイビキ・呼吸停止や足のぴくつき・むずむず感は要注意
 背景に睡眠の病気、専門治療が必要

10)十分眠っても日中の眠気が強い時は専門医に
 長時間眠っても日中の眠気で仕事・学業に支障がある場合は専門医に相談
 車の運転に注意

11)睡眠薬代わりの寝酒は不眠のもと
 睡眠薬代わりの寝酒は、深い睡眠を減らし、夜中に目覚める原因となる
 睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安全

12)一定時刻に服用し就床
 アルコールとの併用をしない

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以上。
実は3、4、8の同時は相当キツい。仕事しながら睡眠時間を削る事になる為、身体的にも精神的にも回復しない。
しかし、この3つの項目は同時にやらないと意味がない、というか8が事実上3と4の複合項目である。
私の症状としては
・強い中途覚醒。一晩で3回以上目が覚める。
・日中強烈な眠気に襲われる。仕事場ならまだいい(良くない)が、睡眠不足が被ると車の運転もヤバい。
・休みの日にスッキリしたと感じるには12〜14時間程の眠りが必要(もちろん中途覚醒も両手で数えるレベルに増える)
っちゅーわけで、これらを改善する為に実践を開始。では順番に。

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1)日中、特に仕事中に関して抵抗出来ないレベルの眠気が襲う。
 「あ、ちょっと眠いかも」と意識した次の瞬間に、人に起こされているか、自分で起きる。
 外から見ると徐々に眠りに落ちているようだが、私本人に自覚がない。
 なお、寝落ちする場合は一切姿勢を崩さない。座っていたら背筋を伸ばして、作業中の手の位置までそのまま。
 さらに、何故か夢の中(起きてから気付くがその時には夢という自覚がない)で現実の仕事をこなしている。

2)コーヒーの摂取量を制限。4時間前には飲まない。コーラもカフェインのないゼロフリー。
 そもそもコーヒー自体1週間に1回飲むかなくらいまで頻度下げ。

3)この結果、時折睡眠時間が極端に短くなる。

4)目覚めの悪さは解消されたが、起きてから30分〜1時間半後にやっぱり上記のような強烈な眠気に襲われる。
 何気に土日等も同じように起きなければならない為、休みの日でも疲れが抜け切らない。

5)朝日は浴びている。夜間照明を低減する為にブルーライトカットメガネ&ソフトでPCの明るさ制限。

6)同じ時間に食事。

7)そもそも昼以降は目が覚める。眠いのは朝か夜(ただし22時以降何故かむしろ覚醒する傾向がある)。

8)3と4の複合なので上記の通り。

9)無呼吸症候群はCPAPにより治療中。SDカードの記録により、無呼吸に限って言えば問題なく眠っている。

10)本格的な専門医が三重県では三重大学医学部附属病院しかない。
  さらに精神科通院歴がある場合は診断書が必須。
  さらにさらに、仮に精密検査が受けれるとしても予約殺到らしく「最速でも来年になる」という情報あり。

11&12)睡眠薬の基本なので前々から守っている。

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ってな感じで実行して二週間が経過。二週間もすれば睡眠のサイクルは安定する、との事だったが改善の兆しなし。
この事をいくらかのかかりつけ医に報告した結果、以下2つのアドバイスを貰えた。

・この方法は様々な睡眠障害に対して効果がある方法であり、可能であれば今後も続けた方が良い可能性はある。
・睡眠サイクル及び体内時計が原因でない場合は、ひたすらキツい割には成果が上がらないかもしれない

おそらく、後者だ。
というわけで「多くの方に遅寝早起きは有効であるが、効かない場合もあり、私は効かないケースだった」が結論となる。
・ズル休みに感動した理由
今年の盆休みは絶妙に仕事が入り込み、連休がかなり少なかった。
そこで、相応の理由を盾にして休みにした。これにより、何の予定もない4連休が実現した。
相応の理由なんてものは言い訳である。要するに、連休にする為に休んだ。云わばズル休みである。

そして連休を満喫しているが、こうもズル休みが快適であるとは思わなかった。
人が仕事をしている時間、何の縛りもなく眠り、食べ、遊ぶ。こんなに快適な行為であったとは知らなかった。


ここを見ている人は分かる通り、私は子供の頃の病弱っぷりからよく休み、その度「ズル休みだ」と言われていた。
それはとても不快な休みだ。休みたいわけでもないのに休まねばならず、しかも何故かそれを批難される。
私にとって休むというのは、重罪のようなものだった。家にいてもちっとも楽しめない。

大人になり、一度休職を経験し、最近ようやく手を抜くという行為が分かるようになってきた。
真面目と言えば聞こえはいいが、その結果調子が崩れるくらいなら、程よく手を抜き故障がない方がよっぽどいい。
実際、その方が任される仕事も多く、こなせる仕事も多い。
出来ない事はハッキリと断って余計な仕事を抱えない。それで切れる縁を切っても苦しまなくなったのだ。

よく水戸黄門なんかで、一日中遊んで親に迷惑をかけまくるドラ息子が定期的に出る。
迷惑をかけまくった挙句、黄門様に改心させられて働き者になる、というのがいつもの流れなのだが
今になってようやく、遊び呆ける人の心地良さを理解出来た気がする。これはいい。最高の気分だ。
己の意志で休んで遊ぶ事が、こんなに幸せで快適であるとは、これまでの私には想像出来なかったのである。

そして同時に、事情を知らない他人に、真面目に生きているのにこんな楽しい事をしていると思われていた事も分かった。
当時の私の心理的負担は正しかった。こんな事を好き放題してると思われたら、そりゃさぞかし嫌だったろう。

葛藤の存在しない休みとは、とても気持ちの良いものだ。
今後も、機会と資金に余裕さえあれば、こういう日を設けてもいいと思った。今年の盆、最大の収穫である。
・安保法制に関して思う事をまとめておく理由
マスコミを始め様々な所で流れる”単語”に、激しい違和感を覚えるから。
いくつか例を挙げてみようか。

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1)”国民の理解が得られていない”
まず、2つ問わなければならない。

1つ。国会を見ているのか。もう1つ。そもそも理解する気があるのか。

この2つを満たしてなお分からない点があるのは事実ではあるが
それは具体的に、どこそこの何が不明瞭であると答えられる。漠然と”分からない”事はありえない。

国会を見る事もなく、自分から調べもしない事が”分からない”のはごくごく当たり前の事である。

もしこの2つを満たしてなお漠然と”分からない”のであれば、残念ながらその人の知的レベルがそこに至っていない。
外交は兵器のない戦争であり、外交カードは外交で使える唯一の武器である。
当然、国民の知らない部分での詰め合いが行われており、元々から簡単な話ではない。
分からなくても恥じる内容ではない。”分からない”と叫ぶ事が情けないのである。

尤も、この2つを満たしてなお分からない人はほぼいないと思う。

2)”強行採決”
「与党の強行採決」という言葉を本当に多く聞く。
強行されているのに、野党は事前にプラカードを準備する余裕があるようだ。
今日も野党は、起立により賛成反対を決する場を即退席。結果、自民党と公明党により賛成多数で可決された。

これのどこが”強行”なのだろうか? 野党はただ、多数決で負ける場から逃げ出しているだけではないか。
民主主義の日本において、多数が強いのは当たり前である。
自分達が多数になるようにより良い対案を出し議論すべきで、その場から退席して”強行”とは、負け犬の遠吠えである。
この後に続くのは「議論が足りない」だが、そもそも話し合いは平行線で議論にすらなっていない。

議論というのは”互いに互いの意見を聞くだけの余裕がある”事と”同じ話が出来る知的水準である”事が必須である。
与党には残念ながら前者がなく、野党には両者がない。
民主党はあのBBAが表にいる時点で何の役にも立たないだろう。

なお、維新の党は野党であり、かつ反対される事が明白であっても対案を提出している事は明記しておく。
対案が否決された時点で他野党と同じく退席してしまったが。

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この辺まで書いといてから。

どうも安保法制反対派(ただし中韓信者を除く)の”戦争”は”本土決戦”と置き換わっているように思う。
第二次世界大戦時の、日本が空襲される映像である。

だからこそ、如何なる形であれ戦争に加担するという時点で露骨に反対する。
民主党を始めとする野党が、一切の議論を放棄して「何をしたら戦争行為か」を追求し続ける。
マスコミに突然、戦争経験者が現れて「あんな事を繰り返してはいけない」と言い出す。

故に”本土決戦を避ける為の戦争への加担”という概念を理解出来ないのではないだろうか。

私自身、与党の全てに賛同はしていない。
今までの憲法解釈を変える、なんてのは屁理屈である。まずは古く、今の世界情勢を無視した憲法を変えるべきである。
また「リスクがない」という説明もありえない。
リスクとは、様々な物がある。
自衛隊が海外で死ぬ可能性。日本が戦争に巻き込まれる可能性。本土決戦になる可能性。全てリスクだ。
リスクは存在しないのではなく、リスクはあるがそれ以上に国益に繋がる、と説明するのが筋だ。

同時に、こうまで与党のやり方が荒いのは野党の責任である事も忘れてはならない。
野党が議論にならないから、こんなやり方になる。
今の野党に「リスクはあるが〜」等と言った時点で「リスクはあるんじゃないか!」と噛み付くのが目に見える。
先に書いた”同じ話が出来る知的水準である”を満たさない限り、国会でのまともな議論は未来永劫ない。

ちょうど”ブサヨ”と”ネトウヨ”いう概念に似ている。
ブサヨと言った者達は、彼らへの嫌悪感を示す為にスラングを産んだ。
ネトウヨと言った者達は、彼らへのレッテル貼りの為にスラングを産んだ。
同じ差別的呼称であるが、その発端の意味は違う。

今、マスコミでは多数の反対派のデモ活動が流されている。
お世辞にも賢いとは言い難い言動を繰り返す団体も多く、堂々とその様子がテレビやラジオで流れている。
しかし一方で、賛成派も実はデモを行っている。賛成派のデモは非常に静かな物が多い。

知的水準。もっと簡単に言えば、頭が良いか悪いか。
・不幸をただそのまま”不幸”と捉える事が大切な理由
一応、これを書くキッカケになったのはこれ。

「予見できなければ免責」=親の監督責任で初判断―少年のボールよけ転倒・最高裁
(yahooニュース様)
実は似たニュースを25)東北のボランティアに行きたくない理由で取り上げた事がある。

ちなみに、超ざっくり説明すると、小学生が放課後学校で蹴ったサッカーボールが道路に出てしまい
それを避けようとした85歳のバイクが転倒。その一年後亡くなった事に対し、遺族が小学生の両親を訴えた。

皆色々と思うところがあるだろうが、記事に関する感想そのものは以下一行以外触れない。
私としては、最高裁がまともで良かった。以上。

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さて、ではこの85歳の高齢者は何故このような目に合ったのだろうか。それは、ただの”不幸”である。
小学生は怪我をさせる目的もなければ、ボールを道路に飛ばそうとしたワケでもない。
その時、偶然にもボールが予想外の方向へ飛んでいってしまったに過ぎない。
そして、その瞬間に偶然そこを通った。しかも避けねば当たるタイミングで、さらに避け損ない、骨折した。

このように、登場人物全てに何の意図も意味もなく、ただの偶然の羅列によって、酷い目に合う事がある。
被害者としてはたまらない。とても理不尽である。もちろん、本人にも落ち度はない。しかし、割を食う。
これはまさに”不幸”。しかも誰も悪くない。誰も責められない。痛い思いをさせられたのに、それを報復出来ない。

大事なのは”不幸”を”不幸”として捉える事である。ただ運が悪かった。誰も悪くない。
しかし、それでは心が納得しない事も多い。何故自分が、こんな理不尽を受けなければならないのかと憤慨する。
結果、その要因をどうしても、関係する偶然に関わった人々に向けてしまう。
このケースで言えば、ボールを蹴った子供やその親である。彼らが存在しなければ、こんな目には合わなかったと思う。
”不運”を飲み込めないと、他者に原因を作ってしまう。
これが他人の場合は攻撃的、クレーマー等となるし、自分に向く場合は鬱になる。

”不運”をただ”不運”として受け入れる事。難しい事だが、大事な事だ。

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ところで、何故”不運”を”不運”と受け入れられないのだろうか。
もちろん、先に書いた理不尽な思いの矛先が見当たらない事が辛い、というのはある。
しかし、ちゃんと受け入れて生きている人と、受け入れられず何時までも怒りが収まらない人がいる。この違いは何か。

私は、受け入れられない人は自分という存在の扱いに不満があるのではないか、と考える。
自分は本当はもっと色々出来る、もっと丁重に扱われ、もっと人々に崇められるべき存在等という思いだ。
そしてその思いは、日常的に理不尽を経験しているから起こる心の動きなのではないか。
例えば、会社で上司や部下に雑な扱いを受け、家族から愚痴をこぼされる。
そんな生活が続けば、自尊心は傷付けられる。それでいて、反撃出来ない。

その鬱憤が日頃から累積されているから、偶然の重なりも、誰かが自分の自尊心を傷付けたかのように錯覚する。
――そんな想像。


色々書いてみたが、この事故については当てはまらない妙な考察なので一度消した。

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遺族は訴える側を間違えている。結果、関わった皆まで”不幸”になった。
・つらつらつら
私の今までの人生は、周囲の環境に良く言えば大きく、悪く言えば偏屈な影響を及ぼしたと言える。
無論、それで自分が可哀想だのどうのこうのと言おうとは考えていない。これもまた、自分の選んだ道の1つに過ぎない。
しかしそれ故に、私は自分が影響力を及ぼせる範囲の環境を、自分の居心地の良いように整えるようになった。
自分を変える事は勿論だが、その結果環境も自分にとって住み良いモノにしようとしている。

例えば、社会人としての対人関係。付かず離れず。あまり親しくなりきらず、それでいて嫌な態度は取らない。
実際に嫌ではないし、仕事は自分なりにキチンとこなしているつもりだ。

例えば、嫁との生活。夫婦喧嘩になろうものなら「討論会」状態になる。口喧嘩ともちょっと違う。
これは世の女性は非常に嫌なのだそうだが、私は感情だけで物を言われ続ける方がもっと嫌だ。

例えば、ネットラジオ。自分が喋る場を作りたいと思って始めた。今でも「リスナー数0でも時間通り行う」を忘れていない。
今でも時折、気乗りしない時があったりはする。でも話しだすと自然と楽しめる。反応をくれる皆のおかげだ。

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人は基本的に理性的で、理屈的である。
つまり、自分で物事を考え、自分なりに解釈をし、自分が最も得をする、若しくは損をしない選択を行う。

ただし、如何なる物事であっても、最終決定は感情で為される。昔のAAにこんなものがある。

             「 ̄ `ヽ、   ______
             L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、   〉
          /           ヽ\ /
        //  /  /      ヽヽ ヽ〈
        ヽ、レ! {  ム-t ハ li 、 i i  }ト、
         ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
         /ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
        ヽN、ハ l   ┌‐┐   ゙l ノl l
           ヽトjヽ、 ヽ_ノ   ノ//レ′
    r777777777tノ` ー r ´フ/′
   j´ニゝ        l|ヽ  _/`\
   〈 ‐ 知ってるが lト、 /   〃ゝ、
   〈、ネ..         .lF V=="/ イl.
   ト |お前の態度が とニヽ二/  l
   ヽ.|l         〈ー-   ! `ヽ.   l
      |l気に入らない lトニ、_ノ     ヾ、!
      |l__________l|   \    ソ

感情が付いて来なければ、理屈は敗北する。
理屈の敗北がなければ、例えばこの世に犯罪と罰の関係は生まれない。
ムカつく相手を殺せば、自分が社会的にどうなるかを理性的であれば、考えるまでもない。
社会的地位が高い人が卑猥な犯罪を重ねてしまうのも、性欲という感情、欲望がそのリスクを覆い隠すからだ。

そう、私達は常に「感情」という、本当は簡単に分かるリスクを隠す存在を背負っている。
これをある程度コントロールしなければ、私達は道を踏み間違える。しかも、最初は間違いに気付きもしない。
ふっと我に帰った時、その道は道などではなく、気付けば体中が傷だらけ。「後悔先に立たず」とは良く言ったものだ。
感情は同時に、エネルギーにもなる。正しく使えば、それは非常に有意義に機能する。
しかし、この剣は両刃の剣である事を忘れてはいけない。悪戯に振り回せば、相手も自分も血塗れにする。

私はここだけはあえて確信を持って言うが、被害妄想でも何でもなく、この剣に一方的に刺された経験が多いと思っている。
刺した人々は、私を傷付けた事で苦しい事を私に叫ぶのだが、彼らに私の状態は見えていない。

こういう環境は、嫌だ。

その為に自分を変え、環境への接し方を変え、日々工夫しているつもりだ。
それでも、たまに全く見えていない角度から、ぶっすりと刺さっている事がある。
刺された事だけは分かるのだ。自分が痛い以上に、相手が痛がるからである。
何故こうも飛んでくるのかは分からない。私には、それを引き寄せてしまう何かがあるのかもしれない。
最近、それは甘さなのだと思うようになりつつあるが、そんな甘い自分が少しだけ好きな気もしている。

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1つの問題が終わる。正確には、今日は終わりというピリオドがとりあえず打たれただけに過ぎない。
恐らく明日も、明後日も、当分はこの問題と付き合う事になるだろう。
私はこの問題と初めて向き合ってから、もう10年以上にもなる。もうすぐ、人生の半分を捧げた事になりかねない。

一応の終わりを見たその日、空を見上げると、小説やドラマではありえない薄曇りの夜空である。
月が光っているのは分かるが、その姿は見えず、星の光もない。ただ、どんよりとしたモノが、光の存在を覆い隠している。
多分、こういうものなのだ。輝きがなければ影がないように、夜空といっても希望に満ち溢れた情景とは限らない。
また逆に、それが絶望の淵とも限らない。
これを「曇っているから残念だ」と取るか「曇りも好きだ」と取るか「曇りだ」と取るかは人による。

私は三番目だ。だから、明日も辛うじて生きているだろう。

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色々あって少し疲れたので、今考えている頭の中をだらーっと書き上げてみた。まとまりがない。
最近、Twitterで「日本人に無趣味が多いのは、それを極めようとするからだ」と耳にしたので
ならば最低限の推敲で読み返しもせず垂れ流してみよう、と思ってはいたが、機会が今までなかった。
やはり、負のエネルギーがある方が私は動ける。これもまた感情という存在の成せる迷惑行為だろう。
たまには私だって駄々っ子のように剣も振り回したいが、他所様でやるのは気が引ける。此処ならいいだろう。

しかしやってみると気分は悪くない。これはいいストレス発散かもしれないし、明日後悔するかもしれない。
・最近の私が言いたい事をまとめられてしまったので載せておく理由
最近の意見や議論に共通している問題点を、私より大変簡潔にまとめられてしまったので。
元は別サイト様のこの記事から。

報ステ「イスラム国」特集のイスラム国擁護が酷すぎると話題に
(痛いニュース(ノ∀`)様)

ただし、載せておきたいのはこの記事ではなく、これに対するとある方のつぶやき。

@kazu_fujisawa マスコミというか文系の人の両論併記というのは、いかにも中立そうに見えて、物事をひん曲げる。
100%確かなことはないけど、99:1ぐらいで確かなことはよくあるが、
1の少数意見を併記すると、知らない人には五分五分の問題に見える。


可能性としては存在するが極めて小さいそれを、他の大きな存在と同じ存在として並列に扱って話す。
この手の人がマスコミや文系に限った事ではなく、非常に増えていると感じている。マスコミはワザとだろうが。
インターネットの手軽さもあり、より多くの人が情報を手に入れ、色んな解釈が可能となった弊害だと考えている。

この手の議論の特徴は「100%正解ではないが、99%以上正解である」が
「1%未満の間違いの可能性がある以上、間違いかもしれない」と話が展開していく事だ。

これをフライパンに例えたのが37)憲法9条改正に私が賛成する理由だが、今回のまとめの方が文字数が少ない。

意識的であれ無意識であれ、上記のような考え方で物事を話すと、本当に何も進まなくなる。考え直した方が良い。
同時に、自分もこうならないよう気を付けねば、という戒めを含んでここに書いておいた。
・邦人殺害予告の被害者の母親が発表したコメント全文をコピペしておく理由
消されるかもしれないので。そして、この異常性を伝える為に。
今日、被害者の母親が記者会見を行った。会見の全文についてはこちらが詳しい。

【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」
ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見

(BLOGOS様)

NHK、及び地上波でも途中で放送を打ち切る事態となっていたらしいので、全文見たい方は上記リンクを。
先に言っておく。キチガイである。
とはいえ、言いたい事自体は先回No51で述べた事と全く同じ結論となるので、ここでその感想は語らない。
また、会見全文をここに載せるとまとまりがないので、彼女が会見に先立ち発表したコメントのみ全文コピペしておく。
これだけでも十分目眩はするだろう。もっとしたければ是非全文の方を読むと良い。

以下、そのコメント引用。

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私は石堂順子と申します。

ジャーナリスト後藤健二の実の母親です。
多くの外国人記者の皆さんにお集まりいただき、感謝します。

日本国民・日本政府の皆さん、諸外国の皆さんに健二が大変ご迷惑をおかけしていることに心よりお詫びします。

私はこの3日間、ただただ、悲しくて、泣いていました。表現できません。

健二は幼い頃から心の優しい子でした。

健二はいつも「戦地の子どもたちの命を救いたい」と言っていました。

中立な立場で戦争報道をしてきました。

イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。解放してください。

日本は戦争をしないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません。

日本はイスラム教諸国の敵ではなく、友好関係を保ってきました。

日本は唯一の被爆国です。アメリカによる広島と長崎への原爆投下で数十万人が亡くなりました。

あと残された時間はわずかです。日本政府の皆さん、健二の命を救って下さい。


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以上。
私の感想はもう散々述べた。これを見て何をどう思うのか、それは貴方次第だし、何を言うのも自由だ。

少し話が逸れるが、彼女は母親という事だが見た通り苗字が異なる。これだけなら普通なのだが、さらに会見で
奥さんと名乗る方と初めて電話で交信いたしました。
そして、私が驚いたのは、赤ちゃんを産んで、2週間にもまだ経っていないということなんです。

と述べている。
これは憶測だが、後藤氏と関係上親であるというだけで、実際のところ全く接点がなかったのではないだろうか。
そして息子が人質となり、全世界に知れ渡ったこのタイミングで現れた。
そんな彼女の主張を全文読めば、私の感じる嫌悪感の正体が何か分かる人も多いだろう。
・邦人殺害予告から見る最も危険な者達を紹介する理由
今回もリンク先は全て他サイト様です。都合が悪い場合は一報をお願い致します。

自分の主張の為なら他者の生存権を侵害し、テロ組織に手を貸す者共を晒しあげる為だ、以上。以下はいつも通り。

過激派組織「イスラ(ー)ム国」が日本人を人質として、2億ドルという法外な身代金を要求している。
何故こういう事態となったのか、は実は様々な事情があって短くまとめ切れないのだが
あえて色々端折って説明すると、日本が中東に難民対策として2億ドルを資金援助すると表明したら
過激派が人質を取って2億ドルを要求してきた、となる。
ワケ分からないと思うかもしれないが、こんなワケ分からん事態となっている。
なお、詳しい事は特にこのページが非常に分かりやすい。

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ
(中東・イスラーム学の風姿花伝様)
長い文章ではあるが、今回の件について極力中立的な立場の解説となっており、非常に分かりやすい。
長いと言っても実際のところこれくらい書かないと正確に読み取れない事態であり、適切な文章量である。

なお「イスラム国」と名が付いているが、イスラム国という国があるわけでも、イスラム教全体がこんな状態というわけでもない。
あくまで1つのテロ組織の名前であり、ごく少数の土人共が集まって理由付けして殺人を正当化しているだけの
極めて悪質、愚劣、醜悪極まりない集団の名前というだけである事だけは留意してもらいたい。

さて、こうなると黙っていないのは護憲派、平和主義者達である。安倍首相が援助なぞするから……と始まるのは想像通り。
ただし、最初に解説した通り難民の為の資金援助なのであって、テロ組織や対テロ組織への資金援助ではない。
しかし、私はこういった人達は人権や生命に最も重点を置いているのであり
多くの護憲派、平和主義者達は今回の援助もそうだが、少しはテロ組織の活動に苦言を呈すと思っていた。
ここに書くのだからお分かりだろうが、その予想は遥か彼方へと消え去る事となる。

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※ここだけ発言元が削除及び鍵付きで逃げ出した為、リンク先では関係ない第三者の方のツイートを介します。
@SS0401: こういっちゃなんだが、邦人の人質殺害で安倍の首をはねることが出来れば、安い買い物だな。
(twitter様、I護憲派と名前に入れる程の思想を持つ方の発言)

@iwakamiyasumi 安倍総理辞任と引き換えによって、イスラム国に囚われた2人の日本人の命を救う、という
この「柳澤提案」が、至急、政府内で、真剣に検討されることを望み たい。安倍総理の首を差し出し(辞任)、
その代わり、2人の首を切らないように頼む(助命)。身を捨てて、人の命を救う。尊い行為ではないか。
(twitter様、IWJ代表ジャーナリストの発言)

安倍さん、責任を取って人質の身代わりになって下さい!
(togetter様内のとあるツイートまとめ)

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さて、これらを挙げたところで。
彼らは常日頃から、平和、人権、生命……そういった単語を連ねて自らの主張を繰り広げてきた。
そんな彼らのこの発言を聞いて本当に平和や人権、生命の尊さを考えた人間の発言だと取れるだろうか?
彼らは彼らの主張を通す為なら、首相や人質の生命を平気で殺し、テロ組織に協力してしまうのである。

確かに、この時期に難民の為とはいえ、資金援助を言い出した政府に対しては私も賛成しかねる面はある。
キチガイを触る側にもそれ相応の責任があるだろう。その点で議論は必要であると思う。
人質となった人への責任も無いとはいえない。理由はどうあれ、危険地帯に足を踏み入れたのだから。しかし、である。

平和や人権、生命を考える人々であるのならば
宗教だの文化だの国内問題だの如何なる理由であろうとも
他者の生存権を踏みにじるテロ組織こそ
最も軽蔑しこの世から廃絶するべき者達なのは明らかだ。


彼らの為に差し出して良い生命などあるハズがない。首相でも、人質でも、立場や境遇なぞ関係ない。
テロという、殺人や人質という汚い盾がなければ意見も言えない土人共にくれてやるものなぞ、何一つあるものか。

彼らは平和だの微塵も考えちゃいない。ただ自分の意見を通したいだけで、その為に綺麗な言葉をたくさん並べ
「自分の思うようにならないのは支配者(ここでは首相や与党)のせいだ。上が悪で、私達はその逆なのだから正しい」
という、もうクソの金字塔のような思考があるだけに過ぎない。
ニーチェが提唱し、最も忌み嫌ったルサンチマンそのものである。
こんな連中が平和だの何だの言っていたのだ。心底辟易した。
真面目に人類や世界の将来を彼らなりに考えている者もいるのだろうと思っていた。

今回の件で、私は護憲派だの平和主義者だのと自分を語る者全て、心の底から嫌いになった。
私は綺麗事を並べるだけ並べて、その綺麗事が全部虚構という語り口が最も嫌いだ。
平和も、人権も、生命も、クソ未満共の自尊心の為に存在している概念じゃない。
もっと大切で、単純で、それでいて複雑で、永遠に解け切らない究極の概念の1つだ。ゴミが気軽に口走るな。



さ、こんな記事で新年明けましておめでとう。今年もこのページをよろしくな。
ついでに嫁の誕生日だからな。私へ5兆円くらい寄付したくなったろう。何時でも受け付けているぞ。
5兆円は高すぎる? 仕方ない、2億ドルで手を打とう。
・孤高という生き方をオススメする理由
人の悩みの大方は対人関係である、という話を幾度となく聞いている事と、このような記事を見たから。

賛否両論、Facebookの「ともだち」広告。ともだち地獄はどこから始まったのか
(excite.ニュース様)

この記事自体は非常に共感出来る。現代人は永遠に終わらない「ともだち地獄」である。

私自身、人の輪に入ろうとしてもなかなか難しい幼少時代であったのでこんな事を書くのだと思う。

・孤独という感覚
人は独りでいると孤独を感じる生き物で、どうにも誰かと繋がっていないと不安が襲い掛かってくる。
さらに世の中は「友達がいる=正義」であり「いない=悪」という認識が広まっているという感覚を少なからず持っている。
この為、人は人と繋がる方法を模索し、繋がった仲を切らぬよう精神をすり減らして生きている。

では本当に、人と繋がっていなければならないのであろうか。
まして、どれだけ精神を削っても輪に入れない人達はたくさんいる。彼らは、死ぬしかないのだろうか。

それは違う、と私は断言出来る。

・孤独の辛さ
孤独がより辛いのは、その根底に「どこかでそれを強要されている感」があるからではないだろうか。
例えば、人の輪に入る為に見たくもない興味もない共通の話題を持つ努力。
好きでもないテレビ番組をチェックし、微塵も可愛いと思えないディズニーのキャラクターグッズを買う。
歌なんて一人か聞くだけでいいのにカラオケに行き、その為に無意味な練習を繰り返す。
これらの行為は誰かが強要したわけでもないのだが、何となく強迫観念で行っている人は少なくない。
そう、強迫されているのだ。
「これをしないと孤独になるぞ」という刃物を見えない自分が胸元に突き立てているのである。

しかし強要されているからこそ、不満を感じる。突然我に帰った時に「何をしているんだろう」と虚無感に襲われるのだ。
好きでもない番組を全部見る事は苦痛だし、可愛くもないものを可愛いなどというのは苦痛だ。
これらは全て、強迫されてやっているから起こる精神の動きである。
こういったストレスを抱えてでも、人は繋がっていたい生き物なのだ。
そして、あくまで繋がっていたい、これらの苦痛を受け入れるという人はこの先を読まなくて良い。

では、自ら選んではどうだろうか。つまり、自ら「孤独でいる」事を選択するのである。
私は、こういう選択を行い自ら独りになる行為を、孤独と差別化する為、孤高と呼ぶ。
孤独とは、独りでいたくないのに、独りになってしまう事だ。これは恐怖だ。
人と繋がりたいと思っているのにそれが出来ていないのだから当然である。
孤高とは、独りでいる事を選択し、独りになっている事を何とも思わない事だ。
自ら独りになっているのだから、独りでいる事は当然の結果でしかない。

・孤独と孤高
孤高な人とは、孤独を恐れる人達が強迫観念によって行っている全ての物事から開放されている。
つまり、つまらない番組を見る必要はなく、自分が気に入らない存在はハッキリと斬り捨てられる。
好きな歌を歌い、聴き、上手でもないのにそれを改める必要がない。
孤独が原因で起こる「自らが望んでいない事をしなければならない」という事案は全て無くなるのだ。

孤高な人は自ら選択しているからこそ、独りでいる事を恐れない。
繋がる努力をしないのだから、繋がっていないのは必然なのである。
孤高とはまさに「孤独を飲み込んだ」人だ。そこに刃物を立てた自分はもういない。

・孤高もまた寂しい
ただし、あくまで開放されるのは「自らが望んでいない事をしなければならない」という事案だけだ。
孤独の最大の問題である「独りでいる寂しさ」からは永遠に開放されない。
孤高もまた「寂しい」。これだけは全く変わらない、変える事の出来ない負の感情である。
人がいる所、ましてや輪が出来ている所に独りでいると寂しいに決まっているのだ。

では孤独も孤高も一緒かと言われれば、それは違う。
強迫観念で孤独な人は、その状態は「寂しい」というより「無力感」「恐怖」といった感情が強い。
そうならないように努力をしてきたのに、そうなっている状態なのだ。避ける努力をしたのに避けられなかった。
今までの努力が無駄に感じるし、避けられないモノが襲ってくる恐怖感に支配される。
一方、孤高な人は「寂しい」という感情以外は何もない。
孤高な人は自ら独りでいる事を選択したので、独りでいる事態が迫ってきても、それは当然の事として受け入れられる。
恐怖感がないわけではないが、孤独な人と比べてそれは非常に小さく、無力な感覚に至っては一切感じない。
「なるほど、今自分は寂しいのか」という感想が得られるだけだ。これが先に言った「孤独を飲み込んだ」感覚である。

・どれも自由な生き方
孤独を恐れて輪に入るのもまた人生である。友人が多いに越した事はないだろうし、独りの寂しさを感じる必要はないのだ。
ただ、では逆に孤独を自ら望む事もまた人生である、という視点を持つ必要があるのではないだろうか。
現代社会は孤独アレルギーとも言うべき状態で、すぐに「繋がる」「絆」といった単語を掲げてくる。
しかし、それらも全て人生で起こる一事象に過ぎない。繋がる事があるのなら、繋がらない事もまた存在するのである。

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もし孤独で苦しんでいる人が、ちょっとしたヒントを得てくれれば嬉しい限りである。このページには珍しい要素だ。
・消防訓練で感じた事を書いておく理由
もっとそれ以前の訓練がないと、何の役にも立っていないと感じたからだ。
愚痴というか、半分以上馬鹿にしている。軽蔑していると言ってもいいような事があったので書いておく。

私は集合住宅に住んでいる為、年に1度の消防訓練への参加が義務となっている。
義務だというのに出席率が6割程度なのだが、それは置いておく。
中庭に集合し、点呼。代表者が挨拶した後に始まる。
「では、○棟〜△棟までの人は消火器、△〜□棟までの人はDVDを見てもらいます」
この発言の直後、比較的静かだった周囲が一斉にざわめき出す。

「え、うちはどっち?」
「こっち? え、今どっちって言った?」
「どっちでもええんちゃう」

聞き間違いならともかく、代表者に再三説明されても「そう言われても分からん」という人まで出る始末である。
彼らが手に負えないのは、人の話をキチンと聞いた上で、それを理解出来ていないという事だ。
話を聞いていなくて付いてこれない人間より、むしろタチが悪い。教養が足りないのである。

さらに「119への電話の仕方」として、お爺さんがマニュアル片手に消防へ電話をかけてみせた。
マニュアルをがっつり見ているくらいは仕方がないとして
携帯電話を取り出した後、電話のかけ方が分からず1分間悪戦苦闘した。もう燃え上がってるぞ部屋。

彼らには、消火訓練以前のもっと別の、かなり程度の低い訓練が必要だ。
形式上、消火訓練を行った事にはなっているが、本当に出火した時に何の役に立つのか甚だ疑問である。
・チャリティー番組「24時間テレビ」に感動出来ない理由
障碍者が何か、一般人と同じ事を懸命にやる事で「こんなに努力している」と感動の押し売りをしているからだ。
はい結論終わり。以下はいつものダラダラとした理由だ。むしろ今まで書いてない事に今年気付いた。

そもそも障碍者は、日常の生活において、大多数が過ごしやすいよう作られた環境を乗り越える為、
常日頃から努力を行っている場合がほとんどである。
つまり、いつでも努力はしているのだ。健常者には見えない、分からない部分で。

それを、健常者に見える努力のみに対して努力を認める、というのは同時に
常日頃の、健常者には見えない努力を否定している気がしてならないのだ。

これとリンクする形で、毎年24時間マラソンを芸能人が行っている。
最近の人選はとても走れるようには見えない人ばかりが指定され、大抵は時間内に終わらない。
この取り組みはバラエティ的には間違っていない。出来るハズのない題材を出川氏にリアクションして貰うのと同じだ。
ただし、この番組が障碍者等向けのチャリティーである、と考えると大きく違う。

「走る事に向いてない人が自ら走る」
これは挑戦である。
しかし、障碍者とは”何らかの理由で常に生活に支障がある”のであって
好きで障害を拾ったり、抱えたり、無理難題に自らの意思で挑戦しているワケではない。この点が全くもって異なる。
ココら辺がごっちゃになってる辺り、所詮障碍者に理解の少ない者が、
感動という題材に障碍者を利用しているだけ、と私に思わせる要因となっている。

少し話が逸れてしまうが「アイスバケツチャレンジ」という氷水を被る活動についても、私はやや批判的に見ている。
簡単に説明すると、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の為の寄付を募る活動の事。
行う人は氷水を被るか100ドル寄付するかを選び、さらに三人を指名する。指名された三名は同じ事をしなければならない。
この活動は世界中で爆発的に拡散し、日本でも数多くの著名人達が行っている。
これ自体を全て否定はしないのだが、やはり2点が気になる。

1)氷水を被る理由
 「常温から急激に体温を下げると筋肉が縮んで、ALS患者と同じ様な体験ができる事」なのだそうだ。
 そう、先のマラソンと全く同じで難病患者は別に好きでALSを被っているワケではない。
 健常者が氷水を自ら被るという行動自体、どこか障害や難病から離れているのだ。

2)他者を指定する
 こういった活動は個人が自由に、行いたい人が活動や寄付を行うものなのであって
 他者を指定して強要するものではない。無論、法などによる強制力はないのだが
 ”他者を指定して巻き込む”というその質そのものが気に入らない。

脱線したので話を戻そう。

もっとも、障碍者の話以外にも色んな題材が取り扱われており、一概に番組全ては批判も出来ない。
(下手な裏のバラエティ番組より質の良いバラエティが流れていたりする事も少なくないのだ)
寄付金は集まっているワケで、これにより救われる人だって少なからずいる。存在価値がないとまでは言えない。
しかし、このちょっとしたズレを感じている人からすれば、何だかなぁ、という感想だけが残ってしまうのである。

そして何より、実はこの番組、一番キレていい障碍者にそこそこ人気があるのだ。
障碍者の集まる事業所や、精神科に通う方の話を聞く機会が多いのだが
かなりの確率でこの番組への期待感を聞いてもいないのに喋ってくれる。
需要があるのなら、供給があって当然だろう。あと何年で愛が地球を救ってくれるのだろうか。

なお、この記事に限っては障害者、という文字の変換に「障”碍”者」という漢字を用いてみた。
三重県でイベントとしては初らしい「ユニバーサルマナー検定」への参加による影響である。
とはいえ、一般的には障”害”者と書かないと不便であったり、障害のみの解説になると”碍”は使わない。難しいところだ。
・「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊被告の『最終意見陳述』のまとめへのリンクを貼る理由
事件の内容については、ここでは関係ないので語らない。無論、如何なる理由であっても犯罪を肯定出来るものではない。
だが彼の最終意見陳述を見て、私は彼をただの愚かな犯罪者とは見れなくなってしまった。

【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない
(かみぷろ様)

ドラマチックか、は私からは何とも言えないが、虐待や虐めといった単語に反応出来る人にはかなり効くと思う。

まとめてあるが、それでもかなり長いページとなっている。
非常に簡略化して言えば「何故自分がここまで堕ちたか」という内容である。これだけならよくある内容に過ぎない。
彼は幼少時代の虐待や虐めの体験を告白しているが、そこに至る経緯、現場での心理を非常に深く観察している。
その内容は最早自己分析などという枠を良い意味で大きく超えている。どこにでもあるような稚拙な文章ではない。

彼の言葉を借りるなら……

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刑事裁判において虐待やいじめの話が出ると必ず
「で、それが何?自分も虐待されたしいじめられたけど犯罪なぞしていない!
 そういう物言いこそ虐待経験者やいじめ被害者に対する最大の侮辱だ!」
などと主張する虐待経験者や元いじめられっ子が(中略)大量発生します。
自分はこのような「自称」虐待経験者や「自称」元いじめられっ子に向けて申し上げているのではありません。
大変な生きづらさを抱えているのにその原因を把握できずに苦しんでいる方々に申し上げているのです。

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一連の彼の言葉は、まさに今虐待や虐めが原因で苦しむ人達への一つの回答を、地獄と社会の底から示している。
名言集に名を連ねる数々の偉人とは真逆の世界にいながら、彼の言葉は今を生きねばならぬ人の心を打つかもしれない。

そして、偉人の言葉ではないが故に、いずれこの社会から、この世界から完全に忘れ去られてしまうだろう。
・「マイルドヤンキー」という発想に共感出来る理由と、そこから見える「低学歴の世界」を語る理由
ここ最近、公共の場で大騒ぎする子供と、それを放置したままの親を見る。
私や嫁はあれについて、様々な事案を全て片付ける結論として「想像力が足りない」という言葉を使っていた。
ただ、これらを問題視しているのは少数派なのでは、というソースのない考えがあった。

そしてつい昨日、このような記事を見つけた。
DQN親子は社会の縮図?「道路族」問題とは(All About様)

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車の行き交う道路で叫びながら遊ぶ子どもの集団、その傍らで母親たちが大声で井戸端会議。
騒音に文句を言ったら逆ギレ……(中略)これは行政の問題なの? それとも親の躾やモラルの問題?

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うちの周辺に「道路族」はいないものの、最初に述べた「騒ぐ子供と親」という構図は全く同じである。
ここで取り上げられているのが「マイルドヤンキー」という、一定の思考を持つ人達を指した新しい名称である。
本来、こういった単語で人にレッテルを貼り、区切る事を私は由としていない。
しかしここで挙げられている人々を実際に見ている以上、否定し切れない事実であろう。

マイルドヤンキー賞賛とその先にあるもの、、、(THE HUFFINGTON POST様)
上記リンク先ではかなり長文ではあるが「マイルドヤンキー」という存在に対する深い考察が行われている。
さらに、最初に「マイルドヤンキー」とは何であるかを非常に分かりやすく解説している。

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ざっくり言って、マイルドヤンキーの特徴は以下の通りです:

・生まれ育った地元指向が非常に強い(パラサイト率も高い)
・郊外や地方都市に在住(車社会)
・内向的で、上昇指向が低い(非常に保守的)
・低学歴で低収入
・ITへの関心やスキルが低い
・遠出を嫌い、生活も遊びも地元で済ませたい
・近くにあって、なんでも揃うイオンSCは夢の国
・小中学時代からの友人たちと「永遠に続く日常」を夢見る
・できちゃった結婚比率も高く、子供にキラキラネームをつける傾向
・喫煙率や飲酒率が高い

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彼らの行動理念は常人には理解し難いが、それについてはかなり的確な解答が出されている。
ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ(現代ビジネス様)

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ヤンキーの価値観は『気合主義』と『反知性主義』。つまり、
『気合と勢いがあればなんとかなる』『ややこしい理屈をこねるより、大それたことを実行した奴が偉い』という発想です。

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ここら辺を読み解いていくと、少し前にあったバカッター祭りと同じ流れである事が分かる。

で、「マイルドヤンキー」のこの視点での話はここまでにする。これ以上は紹介したサイトで大変詳しく解説されている。
「マイルドヤンキー」という層がマーケティング的にどういう意味があるのか、今後の世の中の展望が書かれている。
ここからは視点を変えて、この問題を語りたい。

私が幼い頃に住んでいたクソ田舎(今も田舎ではあるが相当マシ)にいた頃の話だ。
ここからは胸糞悪い話が続く。

私は低身長でついでに天然パーマが結構キツかった。おかげで、子供の頃はそれはもうイジメられたものだ。
俗に言う、スクールカーストの最底辺に属していた。
身長も天パも、自力で変える事は出来ない。どう努力しようとも変わらず、日々イジられる日々が続いた。
消しゴムのカスをあんなに投げつけられた人間は、世界中探してもそうはいないだろう。
小学校の頃はそれでケンカもした。中学校になってもそれは続いた。高校生になったって変わらなかったので、諦めた。
小中はクラスが1つしかなく、20名程が同時に進級していくのである意味環境が変わらないのは当然だったが
高校になっても、別のクラスの名前も知らない人間からチョークが飛んでくるのは日常だった。

しかし、唯一高校の時には救いがあった。
その高校の1クラスだけは進学クラスで、私はスレスレだがそのクラスに合格した。
そして、これらの醜い行いは進学クラス内では一切行われなかった。

やがて大学に合格し、名古屋の大学へ進学した。お世辞にも賢い大学ではなかった。ネット上でいうFランだ。
にも関わらず、そこは別世界だった。

誰一人として、私を身体的特徴でイジったりしないのだ。
周囲の会話も、酒を何歳で飲んだとか、親が暴れてるとか、車で何キロ出したかなんて下らない話はなかった。

大学にいる間、私は今までの高校以下の生活とは何だったのだろうか、と不思議に思っていた。
その頃は「やはり田舎と都会の差なのだろうか」等としか考えていなかった。

ちなみに、私がこの後就職がなかなか決まらず、とある飲食サービス業にしか雇ってもらえなかった時
そこで行われる会話は田舎のそれと同じになった。大体ギャンブルの話しか同僚はしてこなかった。

つまり、学歴によって世界に境界線が存在するのである。
この二世界は同じ日本、同じ現代にありながら、全く違う文化を持っている。

そして、話を戻す。「マイルドヤンキー」とは、この学歴境界線の下にいる人達なのではないか。
これらが増えているのは他でもない、頭の足りない連中はすぐズッ婚バッ婚するからで。

ちなみに、私のような経験をした人は少なくともいるようだ。
つまり、下と上を両方経験する事で、互いの存在を知り、境界線を見た人達である。

私のいる世界(個人Blog様)

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ネットで犯罪告白して炎上したDQNたちはインターネットがわかってないって批判もされてるけど、
そもそもインターネットなんて誰も教えてくれない世界だから。
(中略)
ミクシィやフェイスブックは知ってても、インターネット、っていうのは知らない。
携帯やスマホでケータイ小説読んだり日記書いたり写真載せたり動画見たりコメント書いたりしてるけど、
でも、インターネット、って知らない。

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低学歴と高学歴の世界の溝(個人Blog様)

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実家に帰ると、親戚の誰それが結婚した、
でも結婚相手はどうしようもないバカでパチンコばかりで家族そろって金を無心にくる、という似たような話がゴロゴロ。
不倫・バツ1・再婚・生活保護・パチンコ・ギャンブル・騙した・騙された・蒸発、、、
あげれば切りがないけどそんな話がゴロゴロゴロゴロ。
(中略)
大学へ行ってまず俺が驚いたことは、友人達の家庭環境と文化レベルの高さ。
・両親がサラリーマン家庭(そういう友達は地元ではほとんどいなかった)
・家族兄弟の誰かが海外赴任とか海外住まいとか普通にいる(英語ならお姉ちゃんがペラペラだよ、とかすげぇ)
・海外旅行経験者多すぎ(国内旅行すら修学旅行くらいだった俺には衝撃)
・趣味が舞台鑑賞とか美術館めぐりとか(ギャンブルが趣味じゃないって凄い)
・騙す人なんてほとんどいない、無条件に人を信用する人の多さ
・お金を貸しても絶対返ってくる
・「ありがとう」とか感謝の言葉が普通に飛び交う

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特に後者の方の体験は、私の体験とかなり酷似している。

今回は非常に引用が多い(引用元様から指摘があった場合は消します)が、
つまり現代の親子関係から、学歴の境界線まで垣間見てしまえるのである。
そして、学歴による境界線を見たからといって、何の得にもなりはしない。
自分の環境がクソだったという後悔も出来ぬ話と、
そのクソな文化を持つ人々が増え過ぎて経済的に意味を持つようになりつつある、というこれまたクソな事実が残るだけだ。
そんな感じなので、本当は経済学とか語れる方面の記事で、ただの恨み辛みを書いた。スッキリした。
経済学を語る頭がないとも言う。



ちなみに少し逸れてしまうが最後に。
学問は全て独立していない。輪で繋がっている。これもまた、私が大学で得る事の出来た知恵の一つであると思う。

心理学を学べば、人が何を成すかを考える。そこから歴史を知る事が出来る。
歴史から地理や経済を読み取る事が出来、そこから政治を語る事が出来るだろう。
政治の動きから、その際の統治者の帝王学、民衆の行動は再び心理学の面に還る。
私は決して知恵者ではないが、これが学問の真髄ではないかと信じている。
これをもっと早く知る事が出来れば、もうちょっと高校以下の学業が楽しくなるかもしれない。
・ガンダムオンラインに冷めた理由
今回のブチギレ要因はこれ。
8月20日実施予定 バランス調整のお知らせ

対人ゲームなので調整も必要だろうというのは理解しているつもりだが
「本告知が掲載された2014年8月13日(水) 14:00までに
 該当の武器を改造していたパイロットには適宜な対応を検討しております」
という、俗に言う「お詫び」が私には引っかかって仕方ない。

該当機が欲しくて手に入ってないうちに修正、さらに修正される前に入手してたら「お詫び」という方向性だと
実装当時に40000円投資して確実に1機当ててないと大損である。
実際、以前に(運営の想定外の挙動を示した事案に対して)実装されて間もないMSを持っていて「お詫び」があった。

[20:17 更新]6月18日 更新内容について

ここでは最大でウン万円分のアイテムが配布されている。
が、該当機体を持っていない、かつその機体の為に課金した人には一切触れられていない。つまり
どれだけ課金していようと、該当機体を課金で入手しているかしていないかだけでサービスが天と地程違うのである。

この「一見すると大サービスに見えるが、実際のところそれで損を感じるプレイヤーがいる」という話は
31)PSO2を休止するたった1つの重要な、それでいて世間では騒がれていない理由”に通ずるものがある。
私は決して廃課金とは言えない。せいぜい月1に3000円入金する程度だ。しかし同時に、無料でやっているわけではない。
だからこそ、あまりに課金額と運だけでサービス内容に差異が出る事に対しては良い気分にならないのである。

しかし、こういう切り口は「今回の対象になっている機体を未だに入手出来ていない」事による妬みだと思われそうだ。
実際、妬みの部分がある事もまた否定出来ない。この微妙なニュアンスを伝えるのは難しい。

あと、この項目で切り口にした話題とは別件になるが
もう数ヶ月間勢力ゲージ負け続けている連邦を弱体化ってどういう理屈だよ。
という愚痴もそっと添えておく。むしろこっちの方が賛同してくれる人は多い話かもしれない。
・「無敵な人」を止める方法を真剣に考える理由
話の元になったのはこの事件。
男性刺した男逮捕「人生嫌になり死刑に」 NHKニュース

このニュースについて加害者を「無敵の人」と称したツイート。

「死にたいが自分では死ぬ勇気がなく、他人を殺す事で死刑になって死のう」という考えは実に人間らしい。
自殺する勇気はないが死んでしまいたい。その為に犯罪を犯し、罪で殺して貰う……愚かである事は否定しない。
だが、ここでの問題はこういう考えの人の犯罪を止める術が今の世にないという事だ。

彼らは犯罪を犯すまでは一般人であり、まさに殺人を犯すその瞬間、及びその殺意が明らかになるまでは逮捕出来ない。
かといって、彼らに「犯罪は悪い事なんだ」とか「殺された人の気持ちを」とか説いても、意味がない。
彼らは自殺する為に犯罪を犯そうとしている。つまりこの世に、またこの世に生きる人に、何の情もない。
被害者が苦しもうが、亡くなろうが、彼らには全て同様に価値がないのである。

犯罪を犯すと罪を償わなければならない。このシステムは多くの人々にとって、抑止力となっている。
犯罪を犯そうとした時、その結果自分に振りかかる事案が恐ろしいからこそ、社会の秩序は守られている。
しかし、彼らはむしろそれを利用して殺して欲しいと思っている。犯罪抑止どころか、助長させているわけだ。

まさに「無敵の人」という言葉が相応しい。彼らに遭遇して酷い目に合ったとしても、運が悪い以外何も言えないのだ。
今回の事件についても亡くなった人は完全にとばっちりであり、それを償わせる極刑、つまり死刑がご褒美になってしまう。

例えば「安楽死施設をガチで作る」というのは頭の中に咄嗟に出てきた。
が、それ自体大問題ではあるし、仮に費用がかかると「お金がないが死にたい、死にたいが自殺は無理」が解決出来ない。

理性を失った時点で、それを人とみなしてはいけないのかもしれない。人権があるから手が出せない。
では理性を失うとはどういう状態か? それは治るモノか治らないモノかの判断は?

……私には答えが出せない。有識者の方であれば、何か策が浮かぶのだろうか。
・田舎のコミュニティがクソ以下だと確信した理由
先回の続きに近いが、読み返すのが面倒な人はそのまま読んでも構わないよう書いておく。

昨月から突然の草刈り作業を地域の組長同士が勝手に決め、その理由を組長が知らないという素敵な事態が起こった。
来月もやっぱり第一日曜日の朝8時から、お茶どころか水すら出ず、参加しないと出不足金という罰金を支払わされる。

しかしここに来て奇才が現れた。元々、この草刈りの名目は「自分の駐車場の草を刈る」事である。
(もっとも、仮に自分のところを掃除し終わっても、やってないバカを手伝わされるので働き損なのだが)
なので、除草剤を駐車場(あくまで自分の範囲の)に撒いた人が出たのだ。
こうなると、名目は成立しない。そもそも草が生えないのだから、刈る必要もない。

そして今日、区の掲示板に二枚の張り紙が出た。
一枚は、来月も日曜朝を潰すのでよろしくというクソ張り紙だが、問題はもう一枚の方。
「除草剤の使用を禁止する」という題目で書かれたその紙には、このように書かれていた。

「除草剤は草を枯らす危険な薬です。雑草は自らの手で刈り取りましょう」

これを見て、薄々感付いてはいたが確信した。
この世には、日曜日の朝8時にどうしても”皆”で集まって草を刈りたくて仕方ないゴミクズがいる。
しかもそいつらは、何故か周辺を巻き込んで”皆”で集まりたいのである。
さらに、そのルールを改訂する事を決して許さない。出不足金や除草剤の禁止で何が何でも参加させてくる。
ただの仲良しごっこであれば、何時でもどこでも互いに会って会話でも食事会でもすればいいのに
面倒事を”皆”で、その効率や効果等を考慮せずとにかく”皆で苦労したい”人間が、かなりの数いるのだ。

こんなに赤文字強調を使ったのは本項目が初めてで、私がいかに田舎嫌いかを物語っているかと思う。

この言い訳が通用しない理由はたった一つ。草刈りの際に草刈機が普通に使われている事だ。
除草剤が危険なら、草刈機も危険でないハズがない。完全に矛盾している。
つまり、彼らは日曜朝8時に皆で草を刈りたいのだ。ただそれだけで、その要因を否定するモノは全て排除されるのだ。

結論は先回と同じだ。何故田舎が過疎化するのか。そこにはもっと根本的な、闇というには大げさなクソが転がっている。
・田舎のコミュニティに文句を言いに行った理由
ただでも年2回の大掃除があるのに、今年から何故か7〜10月の第一日曜日まで草刈りをすると言い出した。
さらに、マンション中庭の草刈りは美化委員(シルバー人材らしい)が担当していたのに、今日そこの掃除もさせられた。
ちなみにこの草刈り、参加しないと出不足金という名の罰金を支払わされる。
時間は朝の8時から。日曜朝なら皆家にいるだろう、という考えからその時間帯を選んだのだろうが
こっちは日曜の朝くらいゆっくりしてたいんだよ。日曜くらい家族以外の顔みたくないんだよ。
しかも、何故か朝の6時半には草刈機の音。
どうやらこの近辺には、皆で草を刈りたくて仕方のない連中がいるらしい。暇人の遊びに他人を巻き込むな。
頭にきたので、自分の組を担当している組長に物を言いに行く事になった。

ここで文句を言うべき内容は色々あるが、根本的な部分は2つのみに集約出来る。

1)何故、草刈りの定期回数が増えたのか
 例えば「美化委員の清掃範囲が狭くなった」とか「定期清掃だけでは足りない」等の理由があるのなら問題ではない。
 しかし、それならそれで理由を説明すべきだ。何故面倒事が増えたのかを説明されないと、こちらも納得出来ない。
2)出不足金とは何か
 参加しないと2000円を取られるが、このお金は一体何に使う目的なのか。
 元々誰が参加しないかも分からないので、いくらの収入になるかも不明なこの金を、何かの予定には組み込めない。
 だが、用途がないお金を罰金の形で取るとすれば、そんな権利が組や区にあるのか。

しかし、文句を言いに行った途端、出鼻を挫かれる結果となった。
早速1について聞いたところ「分からない」という。
組長会議で決まった、と言いながらも「上の決めた事なので」と言うだけなのだ。
驚いた。彼らは自分達にタダ働きを課せられて、何の疑問も抱いていないのである。
さらに続けて「あまりそういう事は言わない方がいいですよ」という脅し文句まで頂いた。
まさか脅されるとは思わなかったが、もう言いに来てしまった側としてはどうしようもない。
「組の仕事が増えるのなら、せめてその理由は明確にすべきだ」という事と
近いうちに次回の組長同士による会議があると言うので「議題としてこの意見を出して欲しい」とを話すのみに留まった。
なお、この流れから想像出来る通り、出不足金とやらの使用用途も「分からない」だった。

そこで、少し話を替える事にした。ただ意見を言っても、分からない者には何も求められない。
組長という仕事は、その地域に住む人達に年に一回、隣の家へと回っていくものである。
「年一回の仕事ですものね」と合わせると「そうなんですよ。うちも好きでやってるわけじゃなくて」と返ってきた。

これにより、田舎には独特のコミュニティが存在するが
これは実は嫌々やっていて、しかもその理由を考えてもいない人達に支えられている事が分かった。
田舎のクソのような柵はこうやって形成され、文句を言う者を追い出して完成するのだろう。


昨今、高齢化社会により人口が減少し、田舎の過疎化が深刻となっているが
このようなコミュニティに果たして誰が入りたいと思うのか、が議論から抜け落ちていると思う。
どれだけ物理的な環境を整えても、それだけでは解決しない何かが田舎の裏に潜んでいる。

ちなみに、出不足金という単語がIMEで変換出来ず、存在しない物かと思ったが結構あるらしい
もし田舎で私と同じ想いをしている人がいるなら、今後脅された私がどうなるかに注目しておくといいかもしれない。
・本を買う時に考える理由
私はバカだが、こう見えて政治や経済に一定の興味があるので、これらを題材にした本をよく手に取る。
中には私とほとんど同じ主張をする本もあり、読んでいると心地良いのであるが、いつも買うに至らない。
自分と全く同じという事は、そこから新たな発見は多いとは言えない。
また、自分と同じ視点ばかり、しかも識者が答えている事で「だから自分は正しい」と感じるのを恐れているからだ。

大抵、人は自分で利口だと思っている時程浮き足立っている。
自分の意見を持ちつつも、自分が一番賢いなどと考えてはいけない。
自分と同じ考えはもちろん、それの更に先を行く意見や発想を持つ人は山のようにいる。
同時に、それらの新しい意見や良い発想を知った際、それを取り入れてより良い自分になれると、尚素晴らしい。

では全く違う意見の本を、と取って読んでみると、本当に見るに耐えない論が展開されていたりする。
最初は「それでも何か違う発想があるかもしれない」と信じて読むが、そんなものは9割転がっていない。
結局軽い頭痛に悩みつつ、その本には悪いがそっと元に戻す。
とはいえ、たまに凄く的確な指摘が転がっているのでタチが悪い。読まずにいられないのだ。

結局、本屋に行って立ち読みする本と、実際に買う本は全く違う分野のものになってしまう。
最近では池上彰氏の「伝える力」を読み終えた。
凄い発見を書いてある本ではなく、伝える為の地道な努力の仕方を語っている本だった。
が、色んな番組に引っ張りだこな池上氏でも、伝える為に地道な実践を重ねている事が分かる本だった。

基本的に立ち読みしつつ、自分の欲しい本を探し、これだと思ったら値段関係なく購入するのが自分のスタイルである。
とはいえ、最近は丁寧な作りの本が突如1000円越えたりするので、一応値段は確認するようになった。
俗に言う「積み本」はしないスタイルだが、それ故に一度本屋に立ち寄ると一時間は軽く潰れる。
それでも、本は好きだ。子供の頃どうしてあんなに嫌いだったのかが分からないくらいに。

ちなみに、最近の私と最もシンクロし、先述の通り買わなかったのは古市憲寿氏の「だから日本はズレている」である。
本の内容はともかく、リンク先のアマゾンでボッコボコに言われているのでこれまたタチが悪かった。
・武力行使容認を支持する理由
頭の悪いデモ大嘘な参加人数を見るからに、彼らには余程都合が悪いのだろう。
(わかっているとは思いますが、両者とも紹介しているアカウント自体は今回の件に関係ありません)
全国が反対しているとか、国民が理解していないとか、全く筋違いである事が分かる。
ましてや、他国民が一々我が国の政治方針についてデモを起こすなど言語道断。
この状態こそ、侵略されている状態に他ならない。さっさと容認してこいつらを叩き出そう。

なお、実はこの話は以前の37)憲法9条改正に私が賛成する理由(2014/5/3)でやっているので多く語らない。
たった一つの答えとして「私達は戦争を避けたいが、戦争は避けてはくれない」と言っておく。
繰り返す。「私達は戦争を避けたいが、戦争は避けてはくれない」のだ。
こんなシンプルな事がどうして伝わらないのだろうか。
そして、日本人同士ですらこんなに伝わらないのに「話し合いで解決出来る」と本当に思っているのか?
ちなみにこの言葉、とある人の発言そのままなのだが、発言元が特定出来なかった。

しかし、せっかく設けたので最近よく聞く言葉について、最も適切だと思う反論を書いておく。

文句A)「今まで守ってきた憲法を〜」
回答)「そんな古い憲法だから、様々な事案が発生する現代に対応出来ていない」

文句B)「数の暴力だ!」
回答)「多数派の意見を拒否するならば、民主主義が根本から成立しなくなる」

文句C「戦争を知らない人達が戦争を語るなんて〜」
回答)「戦争を経験した人しか、戦争について議論を行ってはいけないのか」

文句D)「国民の理解が得られていない」
回答)「貴方が理解していない事案を”国民”とすり替えないで欲しい」

今回わざわざ設けたのは、あまりに見え透いた侵略国からの攻撃について、言及したかっただけだ。
なお、今後上記のようなふざけた現状を映し出している貴重な記事等があればここにリンクを置いておく。
 →増設 戦争ヘンタイ 何故都民はあいつを議員にした 自衛権容認反対63%の実態
もっとも、こんな連中に釣られて反対している日本人はこんなところ見向きもしないだろうが。こちらもお断りだ。
・サッカーを「土人球蹴り」と差別する理由
スポーツマンシップの存在しない競技なぞ、戦争と変わらない。
世界大会だからと盛り上がっているが、私には何が面白いのか全く理解できない。
さらに開催国では犯罪とストライキが横行している。そこまでしてプレイするべき競技とはとても思えない。
なので、何故そこまでに面白くない競技かを以下3点に絞って語る。

1)ルールが存在しない
 審判の裁定がブレ過ぎている。審判とはゲームの番人であり、常識と良識を併せ持たねばならない。
 しかし、サッカーの審判は多く特定の国側に偏っている。
 彼らには”平等な環境で勝利するから競技の栄光は素晴らしい”という感情が欠落している。

2)卑怯な行為のすり替え
 例えば、ボールが指定ラインより外へ行った場合、敵側のスローインとなる。
 これを利用して、彼らは敵にボールをぶつけて場外とし、自軍のボールにする事を”テクニック”としている。
 また、海外でアウェーの試合になると、途端にグラウンドに釘を撒いたり、選手のホテルに大音量を流す等妨害を行う。
 やる側が卑怯なだけなのに、わざわざ”アウェーの洗礼”などという格好良い単語でそれを許容している。
 つまり、プレイヤー達、果てはそれを応援するサポーターすら、常識や良識が欠如している。

3)それらを取り締まる事が出来ない
 FIFAは全く役に立たない。スポーツで政治主張を行った選手すら、除名処分にする事すら出来ない。
 当然、先の2点について改善する事も出来ない。
 むしろ、改善しようとすると自分達が消えてしまうだろう。FIFAこそ不正そのものである。

なお、これらを「土人球蹴り」と称するのは、これらが比較的得意な黒人達の思考とサッカーが似ているからである。
勝つ為にはどんな手段も取り、その結果を考えない。
種があれば撒かずに食べ、象牙が売れれば象がいなくなるまで殺し、結果貧困に喘ぎ子作りとレイプに励む。
皆も学校の授業で、彼らにとって水が貴重であるという映像くらい見ただろう。
しかし、彼らはその貴重な水を手で零しながら飲む。バケツでも何でもいいから入れ物用意しろよ。
彼らには先を考える発想がない。その場その場だけが良ければそれで良く、その結果を考えようとしない。
そんな彼らが発狂するのがサッカーだ。素晴らしい。文化文明を持つ者達は今すぐこの競技を廃止すべきだ。
・最近の歌が大嫌いな理由
先に断っておくが、私は今の音楽が好きな人を否定しない。
好きな人は好きで良い。それで楽しめるならそれで良い。ただし私にオススメし出したりしたら殺す。
なお、今回の内容は非常に汚い言葉が飛ぶ。いつも以上なので、嫌いな人は最初からこんなページにくるな。

元々嫌いなのだが、最近サッカー日本代表応援歌がラジオから流れてくる。
この手の歌詞が本ッ当に嫌いなのだが、世の中はそうでもないようだ。
私が最も嫌いなのは歌詞のこの部分だ。

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シカトして”四六時中”
ただ”無我夢中”で”猛練習”
人生を”熱演中”
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わかりやすいように歌詞のイラッとくる部分を””で囲った。
このように音数が一緒なだけの単語を半ば無理矢理、しかも軽いノリで繰り返す部分が永遠に受け付けない。
「どや?上手い事言ってるやろ?」って感じがプンプンする。上手い事言いたいなら大喜利にしろ。歌でやるなカス。

近い理由で、音楽と歌詞を合わせないラップも嫌いである。
しかも、日本のラップは先に述べた音数が一緒なだけの単語をそれはもう反芻する。牛か何かか貴様ら。
ラップは英語でも受け付けないが、日本語はもっと受け付けない。歌詞の意味が読み取れる分気分を害するのだ。
外国人であれば良かった。

そもそも、多くのミュージシャンが何故か「アーティスト」を名乗るのも反吐が出る。
(これについては最近のネトラジで「アーティストという呼び名が神格化されている」というそれはもうクソな理由が判明した)
アーティストは主に絵画を創る芸術家を指す。一応、音楽も楽譜や歌詞を描くので、アーティストでも間違ってはいない。
が、ミュージシャンという音楽活動を表す単語がすでに存在するのに、何故わざわざ別の呼び名を持ち出すのか。
ミュージシャンという呼び名に誇りを持てばいいだけではないか。
大体、ミュージシャンでアーティストとか言うヤツは、頭がイカれてドラッグ吸うようなヤツばっかりだ。

もっと言えば「音楽」と自称してくるのも頭にくる。私は音楽は好きだ。BGMとか大好物だ。
お前らの汚い歌詞と下手な声が聞こえてくるから嫌いなんだ。歌って言えないならシールでも貼れクズ。
アナと雪の女王がブームになり、作中歌が二種類流れるが、どう聞いても女優の松たか子の方が綺麗だ。顔まで綺麗だ。
ファンには悪いが、May Jとか言うミュージシャン(笑)が一々歌う必要が全くない。歌うなら女優くらい超えてみせろ。
歌手が歌唱力で勝てなくて何で勝つんだ。もっと誇りを持て。勝てないならリリースするな。一々耳障りである。

ちなみに、私がこの世で最も嫌いな歌は「世界に一つだけの花」だ。
アレほど歌詞が綺麗で、それでいて全て嘘っぱちで、そのくせ売れまくった曲を私は他に知らない。
SMAPの歌唱力の問題ではない。あーいや、あれはあれで問題だが。

音楽CDが売れなくなって久しいが、私は少なからず上記のような理由が原因の一つであると断言する。
お金がないだの、違法DLだのの問題ではない。提供する側の問題であると自覚して欲しい。

こんな事を言いながら、最近の某番組にTOKIOが出て、熱湯から手を守る際にサラっと言った
「俺達、ミュージシャンだから」という言葉には大変好感を持った。
また、ドラマも歌手の他楽曲も一切見てない聴いてないが、高橋優氏の「太陽と花」は好きだ。

私にも、最近の好きな楽曲はある。ただ、その数の何倍も理解に苦しむ作品と、創り手が多すぎるだけだ。
・憲法9条改正に私が賛成する理由
反対派の意見があまりに幼稚だから、に他ならない。
賛成派が何故賛成なのかは、理由が通っている。試しに、賛成側の理由を2つ挙げる。

a)同盟国との共同作戦ができない
 現状、日本は金を払う事でこの同盟を保持しているが、本来同盟とは血と血の契約である。
 そして、互いの国を互いが守る状態を形成するからこそ、他の侵略を目的とした国の攻撃を事前に阻止できるのだ。
 「Aを殴ったらB〜Zまでも貴方を敵として見なす」とする事で、結果的に戦争を抑制出来るのである。
 日本の「相手から守って欲しいが、こちらは守らない」という態度は同盟とは言えない。
 金を払うのを止め、正常な同盟を結ぶ事で初めて、日本は他国と同じ土台に立つ。今のままだとそれこそ米国の犬だ。

b)中国、韓国の侵略行為への抑制
 aと繋がるが、侵略してくる国というのは”この国には勝てる”と踏んでいるからちょっかいを出す。つまりなめているのだ。
 尖閣諸島はまだ良い(いや悪いのだが)が、竹島に至っては韓国が実効支配しており、これはもはや侵略戦争である。
 では、彼らを追い払うには戦争なのか? それは違う。必要なのは”なめてると痛い目を見るかも”と思わせる事だ。
 そうすれば、彼らは決して無理な侵略をしなくなる。武器を掲げる事で、実際に武器を使う事態を避けるのだ。

さて、これに対して反対派の意見を箇条書きする。

a)国民への説明が果たされていない
b)国民に是か非かを問うべきだ
c)議論が足りていない
d)日本は戦争する国になる

まず、国民はこれらを理解しているから賛成反対を言っている。国民を野党がなめている。中国韓国と同じ。
世論調査でも賛成派が多い状態であり、是か非かはすでに問われている。
議論というが、民主や社民のように「与党の言う事と特定アジアに関わる事は反対」な連中と議論する余地はない。

最後の一つについては、極論すぎる。確かに改正する事で戦争を行える国になるのは事実である。
しかし、では何の考えもなく戦争をするのか? という事を良く考えるべきだ。
例を上げよう。フライパンを使って料理をするとする。このフライパンで人を殴れば殺せるし、火事が起こるかもしれない。
確かに、フライパンで料理をする以上、その可能性は決してゼロではない。
だが大半の人は料理をしようとしてフライパンで人を殴らない。火事が起こらぬよう気を使うし、それを補佐する機能もある。
そりゃそうだろう、と思うかもしれないが、彼らの主張はこんなレベルの事を言っている。
そして、この極論を持ち出す議論という名の屁理屈が、今の政治家が平気で使っている。

平和派を主張する人々は「武器を持てば戦争する」「憲法改正すれば戦争する」等と言うが
私はむしろ彼らこそ、武器を持てば人を殺し、戦争が可能な状態なら積極的に戦争をする危険人物だと見える。

武器を持つ、戦う意識を見せるのは、日本をなめている国に対する威嚇行為なのだ。
銃を持っている人間に争いを起こそうとする人はそういない。丸腰だから勝てると思われ、余計な争いを生む事になる。
必要なのは抑止力なのだ。武器を持って、結果的に武器を使う必要のない国家を作るのである。

無論、この世から武器など必要ないならそれがいい。
しかし、皆が武器を持つ中で持っていない現状は、むしろ争いを生む。人とはその程度の生き物だと自覚するべきだ。
・年中マスクが手放せない理由
春:花粉症で死ぬ
秋:花粉症で死ぬ
冬:インフルとノロで死ぬ

唯一夏は外して良いのだが、私は小児喘息の後遺症で、喉の線毛の機能が5割程失われているらしい。
線毛とは、簡単に言えば鼻や口から侵入するウイルスやゴミを外へ追い出す機能を持つ毛、及びその運動の事を言う。
この関係で、一般の人と比べて経口感染が起こりやすい。
例えば、隣に座っている人がちょっと風邪気味で咳き込んだりすると、それだけで私に感染してしまう事がある。
さらに、私は鼻炎持ち。基本的に鼻呼吸が難しく、意識してはいるものの口呼吸になりがちで、これも要因と言える。
ネコアレルギーはかなり重症で、猫の毛がトリガーとなっているのだが、意外とこれに遭遇するケースは多い。
自分から猫に近づかなくても、例えば電車の中で動物と遊んだ後なのか、毛がいっぱい付いている人を見る事がある。
あれに近付けば基本的にアウト。しかもあっちは平気で近づいてくる為にたちが悪い。
どうしてもその人が近い場合は、息を止めて席を立てば助かるかも、レベルである。

このように、目には見えない内蔵等に障害を持っていると、相手も気付かず、こちらも伝えられないので大変だ。

今でこそ、マスクを付ける事は比較的普通になった。
すれ違う人々でもマスクを付けている人はたくさんいるし、学生の登下校などでも年代を問わず、多く見られる。
私が子供の頃と言えば、マスクを付けているだけで同年代からは「マスクマン」等とからかわれ
肝心の教師ですら「重病のような格好をするな」「今調子が良いなら付ける必要がない」といった見解であった。
子供心にマスクを外すと、案の定風邪やらアレルギーやらで鼻水はダラダラ。
同年代からは「汚い」「バイ菌」扱いされ、教師からは「自己管理がなってない」とくる。最早テンプレである。

今でも、接客業の一部ではマスクを嫌う。どうも”マスクを付ける人は病気”のイメージがあるようだ。
無論、飛散防止も目的の一つであり、病気の人間が付けるものなのだが、同時に対策の為に付ける事もあるのだ。
こういった間違った認識を持つ人は、マスクの意味等考えるハズもなく、いざ自分が病気になるとウイルスを撒き散らす。
結果、私のような見えない障害持ちはマスクが手放せず、さらにいかなる防衛策を講じてもなお病気になる事すらある。
世の中とは、本当に理不尽の連続である。
健常者調子乗ってない? 処す? 処す??

さて、こんな話題で今年初。私が死ぬまでに100項目いったらどうしよう。
・民主主義というものに対する見解を改めて書いておく理由
最近世間で騒がしい「秘密保護法」に対する反対意見の多くが
「民主主義に反している!!」と訴えているので、では民主主義とは何だろうかと考えてみよう。

そもそも、民主主義とは。ざっくりと言えば”国の意思決定を、国民がやろうぜ”という事だ。
もっとざっくりしちゃうと”多数決”だ。ざっくりすぎたか。
しかし当然、国民全員の意思を聞きながら国の方向など決めていては永遠に物事が決まらない。
そこで、議員という”国民の投票によって選ばれた代表者”を設けた。
代表者は国民の意見そのものであり、彼らの決定は基本的に国民の決定と同意義となる。
さらに、彼らに多数決を取る事で国民が最も支持する方向へ国を持っていく。そういう考え方だ。

しかし、例えば代表者と言っても人だ。意見が変わるかもしれない。
国を運営していく立場になって気づいた事、思い立った事、色々あるかもしれない。
大体、彼らを支持して投票した国民だって、やっぱ違ったかなって思う事は生きていてたくさんある。

何が言いたいかっていうと、民主主義なんてそんなに素晴らしいシステムじゃない、という事だ。
子供の頃に道徳の授業なんかでよく「少数派の人も大切にしましょう」なんて言うが
実質多数決で動くわけで、少数派の意見は蔑ろである。大切にされても、結局は多い方が採用される。
少数派などあってないようなものだ。
まして、今の国会のように「与党のやる事は全部反対!」な議員に対して、説得も議論も無駄であり
強行採決という単語を矛のように掲げているが、実際は必要な議会を欠席している。
自ら欠席しておいて、法案が通れば「強行だ!」と叫ぶ。彼らの脳内は凄い。
強行を促しているのは間違いなく野党(特に民主、共産)である。
本当に反対するのであれば、彼らの言う民主主義のルールに則って、反対票数が賛成数を上回るよう尽力するべきだ。

ただし、山本太郎のように「賛成派議員が議会に入れないようにする」はテロ行為である。
彼に言いたい事は山ほどあるが、この例だけに話を絞るならこれこそ民主主義に反している。
意見を武力で押し通すなど、まさに中国のそれのような言論統制である。

少し話を変える。
1+1=3というお題について「3だ」と思う人が多ければ、自動的に3が選ばれる。これが民主主義で、2は不採用だ。
そして国の舵取りとは、こんな簡単な式ではない。
1とは? 本当に+? 1-1じゃなかったっけ? そもそも2ってどっから出たの? ……と、事実を認識する事は非常に難しい。
その上で、民主主義が常に正しいと言えるだろうか。

社会の考え方が民主主義なのは、民主主義よりいい新しい考え方がこの世にないからだ。
素晴らしいから使ってるのではなく、他にないから仕方なく採用しているものなのだ。
・捨て艦戦法をそこまで叩かなくて良くないかね、と思う理由
艦これのお話。
捨て艦戦法がやたらと嫌われている。分からない人向けに軽く触れておくと…

1)艦これでは戦闘不能はロストである為、育てた子に無理進軍がさせられない。
2)期間限定で出撃出来るMAPにはゲージがあり、これを無くす事が目標であるが、ゲージは時間経過で回復する。
3)そこで、短期決戦したいが無理進軍する為に、育成してない、愛も特にないLv1艦を盾に攻略を進める。
4)ロストしても痛手ではなく、戦闘後は修理せず解体や合成素材にすれば資源の節約になる。

史実に則ったゲームであったり、艦が娘になっているので躊躇う人がいるのもご尤も。
それが嫌なら、育ちきった子でゆっくりと攻略すればいいので、こちらもそれを強要する気はサラサラない。
が、どうもこの話になるとやたらと否定論が多い。
こういった画像こんなのが出回って、捨て艦戦法が非人道的のような扱いを受けている。
なんというかここまで言われる筋合いはない。ネタで言ってる人はいいが、ガチな人が見受けられる。
よって、反論を行う。

まず、そういった後ろめたさがあるのなら、最初から捨て艦などという方法で攻略しようとしない事だ。
自分のやり方、自分のペースで、好きなように攻略すれば良い。
しかし、人によっては資源がキツかったり、時間的に大きく張り付いていられない事も多い。
その結果、資源節約や時間短縮の為に戦闘方法を変えるのはごくごく普通の事だ。

次に、少なからず私はロスト(つまり戦闘不能)を良しとしているワケではない。
先に述べた通り、解体や改修により効率よく作業を進めたいので、出来ればロストはしないで欲しい。
何より、愛キャラをロストさせないが為の方法であり、
人道的とか理由を付けた挙句に、愛キャラを轟沈させるようなクソ提督に非人道呼ばわりされる筋合いはない。

こちらはロストという恐ろしい事態を回避する為に、システムを駆使しているに過ぎない。
非人道とか尤もらしい理由をつけて、こちらのプレイスタイルを一方的に否定しないで頂きたい。
少なからず、こちらはこのプレイスタイルを押し付けてはいないのだから。

と言いたかっただけだ。あースッキリした。
それにしても、最近のふーことはゲームの話題が多い。とっても平和でいい事だ。
・PSO2をやっぱり休止する当然の理由
嫁が遂にPSO2に愛想を尽かした。

これにより私も自動的に引退できます。本当にありがとうございました。
ちなみにサポーターズリンクに登録されて間もなくの事でした。合掌。

なお、一応シナリオは気になるし考察だけはしていくと思われます。
シナリオが実装された時だけは戻ったり、例の考察ページを嫁が更新する事もあるかもしれないです。
・PSO2の休止を撤回するたった1つの超重要な、世間でも結構騒がれている理由
FF14がいつまで経っても再販してくれないので、嫁が誘えなくてすげー寂しい(´・ω・)

やはり「休止を宣言すると戻ってくる」フラグを避ける事は出来ませんでした。
嫁からも「別々でソロゲーほど寂しいものはない」との意見を。
とはいえ、やはり運営さんへの不信感は払拭出来ないので、撤回といってもFFが再販したらやっぱそっちにいきます。
プレイは嫁や親密な友人との少数行動や、せいぜいGJ+FUN稼ぎ程度になります。

Q.一週間もしない間に引退撤回とか、意志が弱すぎるのではないですか?
A.一体いつから――私の意志が強いと錯覚していた?
・PSO2を休止するたった1つの重要な、それでいて世間では騒がれていない理由
全てこのイベントに尽きる。

※PSO2公式サイトです。
インタラプトランキング&緊急クエスト発生予告

上記サイトより抜粋。
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予告エネミー撃破ランキング開催中は、対象のエネミーからのレアドロップ倍率が+400%となる上
特別にすべてのレアエネミーの出現倍率が+100%となっております!
-----

以上。これ以降はダラダラとしたいつもの理由だ。

こんな高倍率にレアドロップ率を上げたら、実装当日からレア掘りに行っていた人達はどうなるのか。
このイベント中1時間(100+400=500%)の狩りを行えば、先週までの5時間分のレア掘りが行える事になる。

(実際にはこれとは別のレアドロップ、レアエネミー倍率UPもある為、先週まで頑張っていた人の格差はもっと酷い)
PSO2はレアを掘るゲームだと公式が名言している。
最新のパッチをあて、最新の狩場にいく、云わばエンドコンテンツを楽しむ人をここまでバカにしたアップデートはない。

元々、PSO2は ドロップ率を絞りすぎる→あまりに出ないので公式が緩める→ポンポン出る の流れが多く
今回のアップデートだけの問題ではないのだが、今回は特に酷い。
もっとも、こうなる経緯はある。私は運営ではないので予想だが、このような理由が考えられる。

まず、9/4のHDD削除問題。これにより一定層がPSO2を見限った(怖くなったとも言う)。
さらに、少し前の新生FF14稼動。そして9/14にはMHの最新作が出る。現状はPSO2にとって酷い向かい風である。
これに対していつも以上に早く、かつ倍率を高く設定する事で、ユーザーを取り戻したい狙いがあるのではないか。

しかし、だからこそ問いたい。
最新のパッチをあて、最新のコンテンツを遊ぶ人に度の過ぎた不利なアップデートは如何なものか。
ゲームにとって大事なのは、今もいるプレイヤー達ではないのか。運営を信じて遊んでいるユーザーではないのか。

「レアを掘る」理由は様々だろうが、1つに「誰も手に入れていない(もしくは少ない)アイテムを手に入れたい」という欲がある。
それは、新しいレアが実装された時にいち早く、強力なボスや多彩なザコを倒すなどして達成される。
その為に装備を揃えたり、プレイの試行錯誤を行ったりして、時間をかけてゲームをする。
ところが、その最新のレアを開始一週間後にドロップ率5倍である。
先駆者がどれだけ時間と労力をかけていても、これからプレイする者はこの1/5の時間で同じ恩恵が得られる。
さらに、ドロップが増えるという事はそのレアの価値を下げる。
一生懸命プレイしてようやく手に入れたレアが、たった一週間でゴミと化す。これが楽しいゲームの姿だろうか。
ドロップ率アップとは聞こえはいいが、これによって何が起こっているのかを少し考えて貰いたい。

私は、運営が気に入らない際の最も効果的な方法とは「ログインしない事」だと考えている。
苦情を言う以上は変わって欲しいという願望がある。愚痴を言ってもプレイを止めないなら、運営に実質的な損益はない。

一応まだ嫁がプレイしているゲームなので惜しいのだが、私はしばらくPSO2を休止する。
もっとも、ネットで休止を宣言する者はすぐに帰ってくるそうだ。私も例外ではないかもしれない。

さて、戻ってくるのは三日後か、一週間後か。一ヶ月後?一年後かもしれない。もう二度とないかもしれないな。
・3/11を迎えたら皆が「原発のせいで帰れない」と歌いだす事が納得出来ない理由
2011/3/11に起こったのは”地震”である。
忘れているバカがいるようなので繰り返すが、”地震”が起きた日である。
津波や原発、復興への問題等はその地震で起こった副産物であり、3/11にあえてわざわざ語る必要性は全くない。
「東北は原発のせいで」という報道も多く見られるが、これは問題のすりかえである。

そもそもこの問題を語るにあたって、絶対に忘れてはいけない点が一つある。
それは、原発誘致を承認した人間がいるから、あそこに原発があるという事実だ。

実は昔、私がまだ幼い頃にも、住んでいた場所が田舎だったからだろう、原発誘致の話が出た。
無論「貴方の家の近くに原発建てますね」といってYesと答えるバカはいない。
そこで、相手はある程度の資金援助を餌に賛同者を募った。
しかし、私の両親も含め、その金に釣られる事なく反対した。結果、原発は来なかった。

様々な問題を東北が抱えている現状はある。東電の対応、国の行動…
しかし、少なからず原発災害については想定外の規模(地軸がズレる程のものだ)の地震により起こったものであり
さらに、そこに建てる事を金を貰う事で了承した人間が、一人や二人でなく大勢いるという事を忘れてはならない。
彼らは地震の被害者ではあるが、被爆の被害者とするには自業自得な面がある。
もっとも、選択権のない子供には罪はない。これだけは断言出来る。子供を責めてはならない。

何故、原発誘致を了承したのか?
その結果、誰が何を得たのか?
それを良く考えもせず被害者面をしても、誰も助けようと思わないし、助けてもまた同じ目に合うだけだ。

尚、よく「震災を忘れてはならない」などと言うが、人間は忘れる事によって心と身体のコントロールを行っている。
震災の記憶により心や身体を壊す事を、亡くなった方々は決して望んでいないと信じている。
忘れろとは言わない。ただ、過ぎ去った変えられない過去に縛られるより、次の未来を明るくする為の活動をして欲しいと願う。
・札束で殴りあうゲームが流行る理由
「札束で殴りあう」
素晴らしい例えである。初めて発言した人には座布団を贈りたい。

そして、ほぼいつも通り結論から言うと
「お金さえ積めば、人に競り勝てるから」であると私は思う。
ついでに言えば、そんな理由だから、ふっと冷めた時に後悔するのだろうと私は思う。

-----

テレビのCMがパチンコまみれから、ソーシャルゲーまみれになってきている。
ソーシャルゲーなどと言うと聞こえは良いが、ようするにこれら全てに共通する項目は
「お金を払えば払う程強くなる」
というこの一点に尽きる。
ゲーム好きの私からすれば、未だこれらのゲームが流行る理由はまるで分からない。
(例外として、アイドルマスターやFF等原作キャラクター色が強いゲームは、まぁ分からんでもないのだが)
とはいえ、流行っているのはツイッター等を見る限り分かるし、売り上げがなければCMも打てないので事実なのだろう。

では、何故これらが流行るのか。しかも似たようなものばかり。ついでに対人ばっかり。

本来対人ゲームとは、プレイすればする程に強くなり”がち”である。
アクション系ならプレイヤーの腕は、個人差はあれどある程度まで上達はするし
RPGであれば、プレイ時間をかければかける程にキャラクターは限界Lvまで成長する。
その後相手に勝てるかは戦略や運といった不確定要素が絡むが、これらも基本的にはプレイ時間に比例し”がち”である。

罠はここにある。なり”がち”。つまり例外がある。
先ほどのアクションに例えるなら、コントローラーを持って一ヶ月経った人でも、その日初めて握った人に負ける事がある。
これは、後者の才能(俗にいうビギナーズラックもここに含まれる)に他ならないのだが、前者は納得がいかないだろう。
当然、前者と同じだけ後者が時間をかければ、前者が勝てる可能性は低くなる。
RPGのような育成要素を持つ対人ゲームについても、レベルの効率的な上げ方、強いスキルを知る情報網から
そもそも見ただけで「これは強くなる」と見抜ける人と、そうでない人との差は埋まらない。

つまるところ、対人の強さはプレイ時間に比例はするが、センスがあるかないかでその差は覆るのである。
もっとも、これはゲームに限った話ではないのだが。

さて、話を戻そう。お金を払うと強くなるゲームが流行っている。
日本という国は不況に苦しんではいるものの、とりあえず仕事をすれば収入を得る事が出来る。
仮に仕事を失っても国から援助があるし、仕事が出来ない事情があるならそれはそれで保護される。
(無論、例外が起こる事もあるのでこの限りではないが、その点は全く別問題なのでここでは深く掘り下げない)
基本的に日本にいれば大抵、社会人には収入が存在する。
つまり、お金というリソースは基本的に誰でも一定の値まで注ぎ込んでしまえるのだ。

お金を使うと、本来プレイ時間やセンスに左右されがちなゲームに勝つ事が出来る。
ゲームという限られた世界の中で、強さを確実に得る事が出来る。それが課金である


もちろん、そのお金を稼ぐという行為にも先ほど述べた時間やセンスがかかってくる。
そして、本気で稼いでいる人が本気で注ぎ込めば最強になれる。が、大金持ちはこんな下らない事にお金は使わない。

ここまで自分で書いておいて、何で札束で殴りあうのか分からなくなってきたが、多分それで正常である。
読んでいる人も混乱してしまった方が良い。
その感覚を完全に失って初めて、札束での殴りあいが楽しくなるに違いない。
・「喧嘩両成敗」という言葉が今なお嫌いな理由
いじめの話が多く飛び交っている。
元々スクールカーストの底辺だった私からすれば、身近な話だ。

私が受けたものはそこまで陰湿ではなく、直接的なものが多かった。
ただ、小学1年生が
「授業時間はそんなに酷い事されないから、休み時間より授業がいい」
と本気で口にしていたと言えば、それが幼少時代の私にとってどれだけ辛かったか伝わるだろうか。

そんな中で一つ、もの凄く嫌な事があった。
毎度のようにいじってくる相手が嫌になり、暴力を振るった事もある。
掴み合いになると、当時の女性の担任の教師がやってきて、必ずこういうのだ。
「喧嘩は両成敗。両方とも悪いんだから謝りなさい」
こういう時、相手は賢い。素直に謝る。もちろん、謝罪の気持ちなぞこれっぽっちもないが。
当時の私は、そう言われても決して謝らなかった。
自分が悪いわけがない。悪くもないのに、何故謝らなければならないのだろうか。そう思っていた。
しかし、こういう時は強情な方が負ける。教師は私を叱りだし、相手はほくそ笑む。
教室にいる人間が、誰一人味方をしてくれなかったのもよく覚えている。

大体、いじめがずっと残るのは全員に原因がある。
その不当な扱いを結果的に受け入れてしまう被害者にも。
その被害者を自分の糧にしようとする加害者にも。
現場を見て何もしない周囲にも。
それに気付かなかったり、気付いても何もしない教師にも。
全てが悪くて、いじめが起こる。
そして、それは色々なところで起こる。
つまり、偶然の積み重ねではない。人間が集まればそうなる、云わば自然現象かもしれない。

いじめは、永遠に記憶に残る。
この歳になってなお、時折夢に出るくらいに傷を負わせるものだ。
いじめは無くなるべきだとは思う。
でも同時に、そう経験しているからこそ、いじめはなくならないんじゃないかな、とも感じる。
実際、大人の社会でもいじめはある。子供以上に分別の無いケースも多数存在する。

さて、今年はこんな話で幕開け。今年もよろしくな。
・俗にいう”ケータイゲームSNS課金”を語られた後に、何か欠けていると思う理由
コンプガチャ規制、などという話題が飛び交っている。
私もMMORPGを未だに遊んでいたりするので、こういった話題にはちょっと興味を引かれる。
ツイッター上で「ようするにSNS課金ってなんじゃいね?」という問題を解説してくれるページが紹介されていた。

※他サイト様です
【漫画つき】コンプガチャだけじゃない。ケータイSNSゲーム課金の仕組み解説 - しっぽのブログ

確かに、私のような無知野郎にも非常に分かりやすい解説である。あるのだが…どうも、何か欠けている気がするのだ。
欠けている、というのはこのブログ様の事ではない。ここで出てくる、課金者の心理状態だ。

例えば、コンプガチャという項目だ。
ここでは例として、8種類をコンプする目的で課金している様子が描かれている。
同じ例を取ろう。お金を払えば8種類のうち、1つが必ず出てくるガチャガチャだ。
さて、これをコンプリートしたいと思ったとする。そして、3枚までダブりなく揃ったとしよう。ラッキーだ。
問題はこの後。「あと5回で終わる」とそんな事を考える人がいるのか?という事だ。

解説ページでは懇切丁寧に、これが何故あと5回で終わらないかを述べてくれているが
これを説明する必要があるのか!このレベルの人が、お金を使ってゲームをしているのか!?
8回で済むと思っていなくても、これが簡単に揃うと思ってしまう人がいるのか!?
そりゃカブるだろ!ダブるに決まってるだろ!?
考えろよ?出てくるのは8種類なんだぞ!?本気で言ってるのか!?


例をもう一つ。ランキング上位者になろうとしているケースだ。
ここら辺はMMOでPvなどをしている人は、私の言おうとしている事は言うまでもなく分かると思うが当たり前だろバカ。
ランキング上位に食い込むには、MMOで言えば時間、課金額、ギルド等横の繋がりがものを言うが
ようするに、それだけ費やして上位ランキング(ランカーなどと呼ぶ場合もあるよね)に名前が挙がるのである。
上に行く為に、誰よりも早くログインし、BOSS沸き時間を記憶し、1日でどれだけの時給が出るかを計算するのだ。
並ちょい上レベルのザコで載れるとか思ってんじゃねーよボンクラ。FF11やROは遊びじゃねーんだよ。
もう少しでランキングに!と思うのは、そりゃもし同じ立場なら私も思うだろう。
しかし、同時に私なら「ま、他の連中も頑張るだろうしな」と思う。ここを見ている人もそうだと信じている。
自分が優位で「勝てる!!」と思ったとしても、それなら勝つか負けるかまでやるし、やった後に後悔は別にしない。
その順位は、その支払った対価がなければ得られないものなのである。

”射幸心”うんぬんとは違う、と解説ページでは書かれているが、私はそうは思わない。
これは結局のところ射幸心だ。欺瞞がないとは言わないが「コンプリートしたい!」「ランキングに載りたい!」といった
必須ではないものを得る為に心を操られて、周りが見えていない(これを得ないと幸せになれない)という点と
それを得た瞬間に、それがそれ相応の価値あるものでないと気付く(実はそんな代物ではなかった)という点において
射幸心を煽る事と何も変わらないからだ。
オンラインでの課金問題において「射幸心が〜」と言っている人の大半は、これらの事を把握して話していると思う。
この一連の流れをまさに「射幸心を煽る」というのでは? これを欺瞞性と言うのはいかがなものか。
先述した、8種類をコンプリートするのに「8回やれば揃うかも!」というのはもう相当のおバカさんであって
そりゃ一般人からすれば「バカじゃねーの?」「自己責任だろ…」と言われて当然である。
子供も対象になっている、という点は問題だが、それは携帯側での様々な設定を親御さん等が行うべき話であって
(親御さんが知らないというケースも多いが、それはこれとは別問題である)
ましてや大の大人がこれを欺瞞とかいう、こんな難しい単語を使うのはどうかと…詐欺、も違う気がする。

私が言うのもアレだが…あまりにレベルが低すぎる。
「そりゃ規制もされるわ」と言わざるをえない。知的障害者相手の詐欺と大差ないと思う。
26)自殺に対して「死ぬ気になれば何でも出来る」って単語を聞く度に「そうじゃねーんだよ」と思う理由
自殺する人に対して「死ぬ気になれば何でも出来るだろ!?」とか
「死ぬ勇気があるなら他に活かせよ」などというクソみたいな言葉を毎度見かけるので、書いておこうと思う。

自殺というのは、主に二種類に分かれる。
一つは、現実からの完全なる逃避の為。もう一つは、舞台を降りる為である。
大抵、ニュース等に取り上げられる自殺といえば前者であるので、前者である事を前提として話す。

自殺する人というのは、別に勇気を振り絞って死んだりしていない。
死ぬのに特別な努力もしていない。

自殺とは、生きたくて生きたくて仕方のない人間が、もうこれ以上現実にいられないが為に行う逃避行動である。
死にたいのでは決してない。可能であれば生きていたい。楽しく生きたい。幸せに生きたい!
だが、それを阻むモノがあまりに大きく見え(他人から見たら小さいかもしれないが、本人には大きいのだ)て
楽しくなくて、幸せも、生きる価値も見いだせなくて、明日の事を考えるだけで吐き気がしたり、もう思考が麻痺したりして
もうどうしようもなくなって最終的に行き着く、地獄の終着点なのだ。


だから、勇気なんていらない。勇気があるなら立ち向かう。
根性なんて必要ない。根性があれば、その壁が実はそんな高い壁でない事に気付いたかもしれない。
KIAIなんていらないのだ。あれば明日に備えて休息を取っている。
本人がそれら全力を尽くしてなお、解決出来なくなって初めて、死という逃避行動を取るのである。

だから「死ぬ気になれば何でも出来る」なんて言われたって「この人も分かってくれない…」と憂鬱の眼差しが刺すだけ。
もっとも、そんな事を気軽にそういう人の前で言える人は、そんな眼差しの小さな刺傷はどうでもいいだろうが。

そして、今更ながら2012年初更新である。今年もよろしくな。
・東北のボランティアに行きたくない理由
彼らを救いたい、という想いが非常に薄いからである。もっと言えば、一部の人に対して純粋に死ね、と思っている。
これは、俗にいう「モンスター被災者」という奴らと、東北の支援を行っている人々のボランティアに対する考え方が原因だ。

まず前者から。
モンスター〇〇という生き物には共通点があると私は感じている。以下の三つだ。

1)物事の原因を捉えようとしない
 彼らは自分達が”感情的に許せない”ものに対して、何故かそこに関わる者達全て(ただし自分を除く)へ攻撃を行う。
 彼らは、それがどのような原因と経緯があって、そのような事態に達したかはどうでも良い。
 仮に自分や、全く別のところへ要因があったとしても、喚き散らすばかりでその事実を見ようとしない。

2)自分自身が被害者であり、侵害されていると信じている
 彼らは”自分達が不幸なのは、誰かが自分達を陥れているからだ”と信じている。
 その為、自らの努力や責任といったものの一切を棚に上げ、他者を批難する事で不幸から逃れようとしている。
 また、他の幸福な人々を責め立てる。「自分がそこにいられないのは、お前がそこにいるからだ!」という論調だ。

3)声が大きい
 仮に前者二点を満たしていたとしても、静かにしていればそれは嫉妬深い感情を持つ人、で終わる。
 これらの歪んだ感情を声に、しかも大声で出す事が彼らの最も鬱陶しい点である。
 周囲にいる人の耳に問答無用で自分の、しかも他者から見たら全く見当違いな意見を放り込んでくる。

これらモンスター達は最初はペアレントで始まったが、今やどこにでも存在するものとなってしまった。
最近のニュースでは、例えばこの記事を例に挙げる事が出来る。

※他サイト様です
サッカーボール避けバイクの男性(87)骨折→認知症→翌年、食物誤嚥で死亡 蹴った少年の親に1500万円賠償命令

確かに骨折はサッカーボールが原因と言えるかもしれないが、小学5年生にそれを予知するのは不可能だろう。
仮にその訴えのみを認めたとしても、少年を罪に問う事はさすがに首を捻ってしまう。仮に対象を選ぶなら、学校だろう。
さらに、最終的な死因は食物誤嚥である。これは仮に問うのであれば、介護した者の責任となるのが一般的だ。
もちろん、こんなトンデモ判決を出している地方裁判所の裁判官にも問題はある。少年の親はすぐにでも控訴するべきだ。

しかし、彼ら(ここで言えば遺族)はそんな事は関係ないのである。
「親族が死んだ!私達は不幸なんだ!あの骨折さえなければ幸せだったのに!!」と、こうなるワケである。しかも大声で。

現在被災地では、モンスター被災者と名付けられた者達が問題となっている。
「私達は地震の被害者だ!私達を助けないのはおかしい!私達は幸せになって当然!」という人達だ。
もっと言えば「他の人が普通に生活してるなんて許せない!」とか言い出す人達だ。

彼らを助けたいと思うか。

もちろん、実際に困っている人達はたくさんいて、魔物は少数派だと信じたい。
しかし、魔物は確実に存在し、彼らは「早く助けに来い!!」と、まるで玉座に座る王のごとき態度で他の人を見ている。

同じ大きな震災といえば、私達の世代では阪神大震災を挙げる事が出来るだろう。
この時にも魔物はいたらしいのだ。阪神大震災の復興に携わった人からも、その時の話を聞く事が出来た。
ただ、それはごくごく少数であったし、そういった人を止める人達も多くいたという。

残念ながら魔物の存在は、ネットのみならずマスコミまで取り上げる事態(ここではテレビを指す)となっている。
このような場所に喜んで行く人は少ないだろう。
何故なら、彼らは感謝の言葉一つないからである。当然だ。彼らは「やって貰って当たり前」だと思っているからだ。

そんな現状で、彼らを助ける程私の心は広く出来ていないのである。

もう一点、むしろこちらが個人的に重要な事を書く。
東北では作業員などの人員不足が問題となっている。彼らの統率者である人物は記者の質問にこう答えている。

「ボランティアの数が圧倒的に足りない」

この言葉、疑問に思わないだろうか。

ボランティアとは無償の慈善事業である。つまり、来ないのが普通なんだよくそったれ。
だから募集をかけたりする。高校や大学、公共施設の掲示板なんかに、よく載っているものだ。
さらに、今回の件はちょっとした清掃とか軽い労働では済まない。現地が被災地なのだから、それなりの準備も必要となる。
例えば、食事を共にするのは難しいだろう。
自分達で数日、もっと言えば数週間分の食料を持参し、さらに保管しなければならないだろう。
寝る場所も問題だ。避難場所は当然使えない為、宿を取らねばならない。
しかし、その宿も空いているとは限らない。そうなった場合、キャンプを設置したり、最悪車内で睡眠を取らなければならない。
その一方で、一部の地域では「キャンプも車内での睡眠も禁止」としている。ではどこで寝ればいいのだ。空中か?

そしてある日、彼らはNHKラジオでこう言い放った。
「何故若者がボランティアにこないのか」

私は唖然とした。
このような特別な状況下で、そう簡単にボランティアなぞに行けるハズがない。
皆就職先を探すだけでも困難でそれどころではない。日々の生活に困る者だっているのだ。
社会人だって、仕事を手放して行ったら最後、帰ってきたら職場がないのかもしれない、そんな時世である。
それらを全て無視して”何故若者がボランティアにこないのか”という言葉を平気で使う東北に、嫌悪感を覚えた。

彼らはボランティアというものが「来て当たり前の集団」だと思っているのだ。
さっさと来て働け、飯も寝る場もお前らで用意しろ、金は一銭も出さない…

それはもう奴隷だ。
そして、こんな事を平気で言う人々もまた、先ほど定義した魔物と同じ生き物としか思えない。


彼らはボランティア集団を、タダ働きする奴隷だと勘違いしている。
大体、ボランティアがボランティアをする理由が分かっていない。

人によって違うだろうが、私が以前活動していたのは「人の笑顔が見たかった」からである。
清掃をすれば、綺麗になったと喜んでくれる人がいた。
老人ホームに行ってちょっとした世間話をするだけで、久しぶりにこんな話で盛り上がったと笑ってくれる人がいた。
彼らは皆、私がボランティアだと知っていたし、同時に特に技能のない高校生である事を理解してくれていた。
だからこそ、単純作業にもやりがいがあった。お金もいらなかったし、良ければと出してくれた麦茶が最高に美味しかった。
大学時代も、知的障害を持つ人々の作業場へお邪魔した事がある(とはいえ、これは大学の授業の一環だったのだが)。
この行く場所は抽選であり、周囲からは同情すらされた。「そこは大変なところだよ」と言われた。
行った初日にそれを実感した。最初は上手くコミュニケーションすら取れないし、拒絶されてしまう事も多々あった。
毎日書くレポートの初日は、書くのが辛かった。今後やっていけるか、不安で仕方なかった。
しかし、時間が経つに連れ、意思疎通が出来るようになり、相手の反応でどう接せばいいか分かるようになっていく。
最後の日は、皆で水戸黄門を見て楽しく笑った。私が翌日から来ない事を残念がってくれる人も多くいた。とても嬉しかった。

話を戻そう。
そんなに人員不足なら、ある一定の賃金で雇えばいいのだ。
ただでも仕事がない、職がないこんな時だからこそ、被災地復旧そのものを仕事にしてしまえばいいのである。
もちろん、いずれは復旧して再び仕事はなくなるかもしれない。
しかし、復旧すればそこにまた仕事が生まれ、人が必要となる。
結果、被災地復興が、日本の厳しい雇用情勢に光を与えてくれるかもしれないのだ。
…と、私のような経済に対して無知な愚か者でも、この程度の事は思いつく。

それなのに、そんな事情も全てそっちのけで、ボランティアという名目の奴隷が来ないと大声で騒ぎ立てる。
そんな人々のところに、ボランティアに来いなんてこっちから願い下げである。のたれ死ね。
・最近、ライトノベルを読まなくなった理由
いくつかあるが、一番の点は『私自身が書きたくて仕方がなくなってしまう』事。
書けばいいじゃん、と言われるとそれはごもっとも。なのだが、書くという行為はやっぱりエネルギーを使う。
少なからず、ここにダラダラと書いているものと、創作物として仕上げるものは使うモノが違う。

私の脳内というのは、俗にいう愛キャラが山ほど存在しており、彼らは度々外へ出たいと言う。
しかし、私は彼らを外に満足に出せてやれない。
それは、自分自身に技量がなく、満足いくものを書けないからだ。
そして、満足いくものが書けないくらいなら、鼻っから書かない方がいい、と思っているからだ。

この論法は矛盾している。つまり、書かなければ技量は身に付かない。
だが一方で、その努力をする余裕がないのが実情だ。趣味でストレスを溜めても良い事になる兆しが全く見えない。
また、書いたとてそれが生活を豊かにするわけでも、病気を治してくれるわけでもない。
そう考えた時、手が止まってしまうのだ。まぁいいか、と投げ捨てるのが一番楽である。

ライトノベルを読むと、もしかしたらワクワクしてしまうかもしれない。
そうなると、書こう!私もこういうのを世に出したい!!という欲が蠢くのだ。
昔はそれを逆利用して作品を書いたものなのだが…

修造さんに言うと怒られそうである。「諦めんなよ!!」とか言われそうだ。

それに、ごく一部の人から、私がこういう話をすると「期待してる」的趣旨の事を言われている。
これは大変に恵まれた環境である。誰かがお世辞でも、読んでくれそうなのだ。
アマチュアレベルの人間にとって、これ程に幸せな環境はなかなかない。

おかげで、少し心が揺れている。揺れているのだが…学生時分のように、それだけに打ち込める現状ではない。
己の趣味でストレスを抱えながら生活出来るのか?という疑問も残る。
元々、作品に求めるものが多いからこそなのだが…ぶっちゃけ、困りモノだこれも。

言い訳するのは簡単だし、逃げるのは楽だ。その結果、何も残らないのだろうけれど。
どんな結末を自分が望んでいるのか…今の私には分からない。

感情が、蝋燭のように、ゆらゆらと。
・こんな状況の中、マスコミを叩く理由
地震以降、情報も混乱しているし、人々にも不安が広がっている。
だから正直な話、誰も叩こうと思えない。
現与党がどんなに頼りなかろうが、今は頼るしかない。
東京電力も色々やらかしてるらしいが、最前線では皆が必死に動いていると信じている。

しかし、一つだけ、どうしても許せない事がある。
それは、今回のNHK、テレビ東京を除いたマスコミ達である。特にフジテレビ。絶対に許さない。
彼らにマスコミという呼び名を付ける事すら嫌だが、本質はそこではないのでここでは触れない。

各地で動画も上げられているので、ここではあえて一つだけ取り上げておく。
(精神的なブラクラです。念の為閲覧注意と言っておきます)

【フジテレビ】遺体を前に泣き崩れる女性にインタビュー

もっと見たい人はウジテレビタグで見ればいくらでも出てきます。

これが現場の真実だと言う人もいる。確かに、現実の一つである事には違いない。それは認める。
しかし、全国へこんな悲しい絵をただ映して何になるというのか。
日本列島の地図が書き換わる程の大震災で、被害がないハズがない。
救助地でヘリを飛ばし、交通機関を妨害してまでこれらの報道を行う理由があるのだろうか。

原発の事故にしても同様だ。放射能が危険な事は確かだが、不安を煽って何になるのか。
通常の〇倍、ではなく、人体に影響を及ぼす数値と実数値を伝えるべきではないのか。

地震は天災であり、我々人間では成す術のない強力なものである。
しかし、被災地でないところでPTSDを起こした人が現れたり、第二次オイルショック現象が起こっているのは
誰でもない、マスコミという仕事に従事する人間達の仕業だと私は考えている。
マスコミの情報を鵜呑みにする無知が悪い、という人もいるが
詐欺師に引っかかった相手はあくまで被害者であり、詐欺師が加害者である。マスコミに罪はないのか?
被災地でない人々を不安と恐怖に陥れる行為。これが罪でなくて何であるのか。
今起きている二次災害は、防げたかもしれない。この災害に油を注いだのがフジを中心としたマスコミ達だ。

もし彼らが正しい報道を行い、救助された人々の情報などを流していたのであれば
今現時点で起こっている人的二次災害はもっと防げたと確信している。
そして、マスコミという位置にいる彼らが、これらの事を知らずにやっているとは思えない。
つまりわざとネガティブな情報を流し、国民を苦しめているのである。
しかも、使い方次第では人を救う事も出来たであろうテレビという媒体を用いて。

うちの家族から電話があった。
幸い、家族も私達も被災地から離れている。それなのに、母親が不安で震えているという。
テレビで流れる映像を見ていて、どんどん不安になっているようなのだ、と。
両親のような歳の人達の情報源はやっぱりテレビなのだ。
私は自分の知りうる限りの知識と情報を話して、何とか落ち着いてくれてはいるようだ。
これでは、被災していない人までまるで被災してるようではないか。

私は、真実の名の元に家族まで傷付けた彼らを未来永劫許す事はない。
・トイレの神様が売れている現実がちょっと嫌な理由
トイレの神様という歌がある。私は昨年、紅白歌合戦でそれを見聞きして知ったクチだ。
詳しくはググレカスだが、ようは「荒れた少女がおばあさんの死をキッカケに更生する」的内容である。

アレが売れているのがほんの少し、イラッ☆と来る。
理由は2つある。
1つは単純明快、ありゃ歌じゃなくて日記だろと思うからだ。チラシの裏にでも書いてろ、な?的な。

もう1つはちょっぴり複雑である。
何故だか世の中は、ああいった”不良がふとしたキッカケで更生する話”が大好きだ。
トイレの神様ではお婆さんが亡くなった事がスイッチになっている。
思うのだ。亡くなった時点で手遅れだろうがと。

世の中には、真面目に働いて、親孝行をしている人間だってたくさんいる。
仕送りをする人、病気の家族の面倒を見る人、介護生活に明け暮れる人・・・とにかくたくさんいる。
彼らは本来、人々から賞賛されるべき行為を普段から行っているのだ。

また、早くから親など親族を亡くしている人の中には、親孝行出来ずに終わった事を死ぬまで悔やむ人もいる。
彼らはもう親孝行など出来ないと知っている。
もう過去には戻れないし、if文を連ねても仕方がない。そんな事は分かっているハズだ。
それでも、親子関係というのはそういった理屈だけでは解決できない複雑な心理事情を孕んでいる。

一方、トイレの神様に登場する少女(ご本人らしい?)は荒れに荒れた学生生活、そしてその後を過ごした。
家族に迷惑をかけ、やりたいように生きてきた。
お婆さんが亡くなるその日まで、賞賛されるべき行為を少なからず歌詞内で行っていない。
それが、お婆さんが亡くなった事をキッカケに更生する。
そして、更生した内容が「お婆さんが言ってた通りトイレを綺麗にする」である。私からしてみれば感動もクソもない。

私自身の感想はこんなでも、市場では売れているそうだ。
-100の人間が+1になれば、結果的に+101なので大きく見えるのかもしれない。
だが、これでは日頃から+20でも50でも100でも、とにかく頑張っている人は理不尽な気がする。
実際に需要があるから売れているのであろうし、それが現実だから仕方ないんだけどね。

あ、そうそう。明けましておめでとう。
私は今日もこのページをベッタベタのギットギトにするよ。
・今回のキャンペーンをお流れにした理由
最初に言っておく。これは言い訳。批判を受け入れる事には何ら変わりない。
参加者に予定まで割かせておいてこの結論を出した私は、どうやっても彼らの負担を背負えないからだ。
本当に申し訳ないと思っている。

その上でぽちぽち。

理由は単純明快、モチベーションの低下ではある。
もちろん、それに至るには様々な要因がある。これだ!という事案はない。
ただし、キッカケはある。これだけはしっかりと明記しておこうと思う。

私は”キャラクターシートを三日前に出すように”というお約束事を設けている。
これにはいくつか理由がある。
例えば、全員にシートを確認した上でアイテムやスキル取得を変更したいPLが出る可能性がある。
また、当日確認してみたら記入、取得ミスなどがあるかもしれない。
これらを当日に行っていると、余計な時間をプレイに割く。それを防ぐ目的だ。
三日前であれば、それが例え23時59分59秒99であろうとも構わない、と宣言していた。

今回、この約束は守られなかった。

私はコンピューターではないので、別に多少遅れたところで何か言うつもりはない。
間に合わないのなら侘びの一言でも入れて、次の日にでも出せばそれで良い。
「忘れてた」としても、それならそれで仕方がない。責めてもシートは完成しないし、時間は返ってこない。
だから、さっさと出してくれればいいだけなのだ。

ただし同時に、私はコンピューターではないからこそ、許せないものは許せない。
私の出した条件が何らかの事情で飲めないのなら、その趣旨を私に説明するべきだ。一言私に言うべきではないのか。
再三提出の旨を発言していた。日付が決まったのは四週間前だ。それが何故守れない?

今回のキャンペーンは事前に「仮に続きをするならやりたいか?」と参加者に確認を取った。
半年以上も開いていたし、私も突然にやろうかと思った。だから確認をしたかった。
そして、参加者が頷いたからこそ私は期待されていると信じ、今回の話をツラツラと書いたワケだ。

化かすなら最期まで狐でいてくれ。それが出来ないのならば、最初から私に真実を伝えて欲しかった。
途中で気持ちが変わったのなら、それでも構わない。それを私に直接言ってくれれば、何か考えられたかもしれない。
そんなに、私は物を言わせない雰囲気か? それだったら、私も態度を改めねばならない。

言い訳だ。でも、私だって吐きたい時はある。だから吐いといた。
再度言うが、これらを理由に責任逃れしようとも思わない。一向に責め立ててくれて問題はない。
・最近こんな事を思う理由
多分、私も含めて周囲が歳を取ったからだと思う。
皆、荒波の飲まれて辛いから。

私の知る人と、私を知る人が、ほんの少しでいいから幸せになってくれたらいいな。
きっと私はその為の力になれない。
なれるとしても、精々キッカケレベルだと思う。
むしろ、私のせいで不快な思いをしている人もいるかもしれない。それでも、やっぱり思う。

私の知る人と、私を知る人が、ほんの少しでいいから幸せになってくれたらいいな。
・最近の私のMMOプレイが廃人と思われてそうだ、と感じる理由
RO、転生4キャラ、転生目指し中1キャラだってよ!
いくら嫁という共犯者がいるとはいえ、パッと見引かれそう(
・猛獣と比べられても困る理由
元はこれ。
中国で新卒争奪戦 日本企業、「負けず嫌い」求める

ページより以下引用
-----
同社は近年、東大や慶応大などの有名校を中心に日本で年十数人を採用してきた。
だが、「安定志向の草食系が多く、戦闘意識の強い野武士タイプが減っていた」と内田氏。
それで中国に来てみたら、「負けず嫌いで、競争意識の強い、我々の大好きなタイプがうじゃうじゃいた」
-----

そりゃ、中国は今発展の真っ最中。上昇志向が高いのは間違いないだろう。
私が思うのは”日本人で負けず嫌いで競争意識の強い人”を毛嫌いしたのは貴方達では?と思うのだ。
もっと言えば日本人であれば「周囲に配慮がなく、野心ばかりが旺盛」なんて言葉を使うんじゃないか?と。

私達の子供の頃と言えば争わず、譲り合い、共に生きるべきと学んだ。
大人になった今も尚、可能であれば争いたくないし、譲れるものは譲ればいいと私も考えている。
人を蹴り落としてでも上に行け、などとは言われた覚えはない。

確かに時代は変化した。あの頃とは完全に違う、野生の社会へと変貌しているのかもしれない。
とはいえ、盲導犬のごとく調教しておいて「サバンナの動物と比べて弱い」とか言われても困る。
現在の日本社会は、残念ながらバブル景気の泡のごとく成長しているワケではない。
閉塞感が漂い、将来性を見出し辛い状況下にある。
こんな中で”競争して上に行きたい!”と思う人が日本人の若者に少ないのは当然だと思う。

一方で、中国社会は成長真っ只中。将来の展望もあるのだろう。
そうなれば最初から野心に燃えるだろうとは感じるし、企業もそういう人を欲しがっているのだろう。

野生化する社会の中にあるとすれば、我々若者は淘汰される運命にあるのかもしれない。
その為には社会で生き残る為に力を付けるか、洞窟に篭って静かに暮らすかだろう。
望むか望まぬかに関係なく、私は後者になる人が多いのではないかと思う。
そして、そうなった人は”使えない人”というレッテルを貼られ、永遠にそれを剥がす事が出来なくなる。

気付けば人は、知性や野心というステータスの高い者だけが生き残るようになるのかもしれない。
それらの低い者達は穴に潜んで、無残な姿になった骨に付いた僅かな血肉を啜って生きる。
もしくは、ステータスの高い者の目を盗んで草を食べるしかない。食われるリスクを背負って。

広がる荒野と、少ない食物。それを狙う数々の猛獣達。ここは、社会という名のサバンナ。
貴方はライオンになりたい? ハイエナになりたい? それとも、草食系?
・尖閣ビデオ流出を別方面で疑う理由
確かに、あのビデオは世論も公開すべきという方向に流れていた。
国会に提出されたビデオは、本来二時間にも渡った内容のものを6分に編集したというお粗末なもの。
しかも、一部政治家にその回覧を限るという、法治国家としてどうなのかという状態ではあった。

が、ここに来て突然の流出。Youtubeに20分以上の動画が公開された。
回覧者が15000に満たないうちにアカウントは削除されたようだが、すでに各地で見える状態になっている。
これに対し、マスコミは一斉に尖閣ビデオ流出を報じた。

早すぎる上に出来すぎている。
いつもなら”報道しない自由”により自粛するマスコミの動きが早い。
中国関係に関しては特に敏感な政府とマスコミが、こうも簡単に流出を紹介するだろうか。

例えば、この流出をインターネットが原因であるとし、一気にネット規制へ乗り込んでくる気かもしれない。
また、これは私自身事実を確認していないが、今日は人権擁護法案が提出される日であるともいう。

本来、国家機密扱い(といっても、そんな扱いをする必要は本来ないハズだが・・・)のものが流れるなどありえない。
むしろ、あってはならない事だ。当然、情報を流した者は厳しく罰せられると共に、大問題として報道されるハズである。
しかし、今回のこれは本当に”流出”なのだろうか。
流出するタイミング、削除されたアカウントの速度やマスコミの動きから、これは全て”シナリオ通り”なのではないだろうか。

最も、一番問題なのは「こんな事があるなんて、何か裏があるな」と考えなければならない現在の日本の状態だ。
政府もマスコミも信頼に値しない。さらに、彼らはインターネットを規制しようとしている。
まさに、中国と同じく情報統制を行う独裁政治と同じ状態になろうと上が躍起になっているのである。
これ以上の問題行動はない。私達はいつまで真実を見ていられるのだろうか。
・こんなゲーム作った理由
暇だったからじゃないかな(白目

避けろ!ミンシンリョウ5179
避けよう!避けないと政治問題になるぞ☆ミ
※要RTP

なお、このゲームはふーらい共々友愛される可能性があります。こんなゲームで大丈夫か?
・なんでも低コストにしたらマズい理由
不景気だ。温暖化だ。
何でも削った方が良い世の中だ。
かかるコストなんて、極力ない方がいい。そういう世の中だ。
私だって、払う必要のないお金は払いたくない。

しかし、コストを削る事で結果的に”人の心”が削れている気がしてならない。これはマズいのではないだろうか。

外食産業の中でもコスト戦争の激しい牛丼チェーンの価格競争。
今や牛丼は250円のものになった。マクドナルドのビッグマックよりも安い食べ物になってしまった。
ちゃんと牛肉も入っているし、味もする。なのに、値段だけ安くなっていく。

これが企業努力の方向として正しい姿なのだろうか。
原料費削減の為に危険な中国産を使い、人件費削減の為にバイトと店長で無理に店を回す事。
結果、国内の消費は冷え込んだ。賃金は低下し、財布の紐はさらに硬くなっていく。

学校の虐め問題はもはや社会問題に発展している。
虐めで自殺する生徒の中には、小学生まで含まれている。
本来なら、教師が、学校が一丸となって虐めを止める必要がある。
虐めっ子に必要なのは、保護ではなく治療だ。時にはそれが荒療治になる事もあるかもしれない。

今の学校の姿はどうであろうか。
学校に虐めが出たと認めた日には、学校の名前は地に落ちる。
かといって、虐めを積極的に抑制する為には様々な手を打たねばならない。面倒なのである。

だから、無かった事にするのだ。
校長は何であろうとも”気付いていない”状態でなければならず、今後教師は”努力する”事を宣言だけはする。

本当に、ありとあらゆる無駄を省いてしまっていいのだろうか?
人は、社会は、あらゆる無駄を無くした先に何を見ているのだろうか?
・ネタクラスが楽しい理由
何故だか、王道タイプを作ると続かないからである(´・∀・)
独自性を持たせたいのかもしれないが、実は自分の中でもちょっぴり理由が分からずにいる。

MMOにしかり、TRPGにしかり、ちょっと変なステータスやスキルを持つキャラクターを作る事が多い。
聖職者で殴りにかかったり、盗賊で火力出してみたり、最近ではTRPGでグレネードを投げたいと思っている。

ディスガイアのようにやり方次第でいくらでもキャラメイク出来るゲームなんかだと尚更。
格闘タイプに魔法を持たせてニヤニヤしたりする人は私だけではないとも思う。
アーチャーに銃を持たせたりするともはや興奮の域に達してくる。性欲も旺盛になるというものさ!

つまり何が言いたいかっていうと、そろそろ誰かGMやろうず(
・国勢調査に参加する理由
※他サイト様です。
国勢調査、完全な調査票はたったの2%、「学歴なし」「出生なし」「名前なし」多発

記事内容よりは、ネット内の反応に対してすっごいもんにょりしたので。
そもそも、参加する理由もクソもなく義務なワケだが・・・まぁそれは置いておく。

いや、調査員が取りにきてないとか、そもそも調査票届いてすらないとか、そういう人は仕方ない気はする。
うちには調査員が来たし、日付も守って来ていたし。
書類は取りに来い、書いたら郵送しろ、義務だから無償でな!!・・・なんて、皆自分の事で必死な昨今ちょっと無理がある。

ただ、普通に調査員が取りにきても書かないってのは理解に苦しむ。
国に個人情報を出したくないなんて、書くのが面倒だから書かなかった言い訳だろ?
そもそも、個人情報なんてもうとっくに漏れてるんじゃね?って思ってる私が異常なのだろうか。

例え国のシステムに欠陥があろうとも、自分達の状況をデータとして収集させる事に何の問題があるというのか。
用紙が難しいというが、マークシート方式の部分が多いし鉛筆一本用意すれば済む箇所が多かった。
これで面倒だとか言い出すと、あっちこっちにある必要書類なんて書けなくなる。
個人証明も必要ないアンケート程度のレベルのものだ。

確かに、今の政治に思うところは私だって山ほどある。
しかし、だからこそ私達若者と呼ばれる層の現状をキッチリ届ける必要があると思う。
「情報なんて集められるだろ」って・・・こっち側から国に現状を発信できる機会だと何故思わないのだろう。
国が信用できるのかと言えば、正直Yesと言い切れない。
でも、私は日本という国に住んでいるのだから、国側の調査でわざわざ調査員まで派遣されてるなら書けばいいじゃん。

お前ら、ようは書きたくないだけだろ?
鉛筆でもシャープペンでも持ってきて、自分の時間を割きたくないだけだろ?
それを「個人情報が〜」「国が〜」って言い訳するな。
素直に面倒臭いと言え。面倒臭いと国に言え。そしたら国も考えるかもしれない。
どうせ○○してくれない、じゃ現状は何一つ変わらず、どんどん悪い方向へ進むだけだ。

それじゃ「ジミンガー」でお馴染みの現在の与党と何も変わらんじゃないか。
何故周囲までそんな連中に成り下がるのか。私には理解できない。
・大事な事なので何度も言う理由
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はい、お疲れ様でした。回れ右。


あ、いえ・・・やっぱり何でもない。気のせいだった!気にせず続けてくれ!
・GMやってる時に考える事の優先順位とその理由 をちゃんと書いてみた
1)プレイヤーのテンションを上げたい
重要項目。プレイヤーのテンション次第でゲームは良くも悪くもなる。
無論、プレイヤーの気持ちなのでこちらで上げるには限界点があるが、上げる要素を組み込む事は出来る。
クライマックスにせよ道中にせよシナリオの流れにせよ、プレイヤーにはプレイ中だけは没頭してもらいたいワケで。
ただ、出来てるかは未知数である(´・∀・)

2)プレイヤーの考えた設定を後付け設定で上手く絡めたい
後付け設定は最強である。
プレイヤーの妄想とシナリオを上手く絡めた時、1の内容と被るがテンションは上がるハズ。
物語の中心である必要はないが、どこかに関連性を持たせた方がNPCとの会話だって意味のあるものになる。

3)パワーゲームにしたくない
パワーゲームとは、ようはHPダメージの応酬になってしまう事。
ARAでは昨今のスキルガイド実装によりダメージは良くも悪くも加速気味。
つまり、火力側へスキル取得を考えるととっても戦闘で強いキャラが出来上がる。
ただ、何もTRPGとは戦闘だけではないし、戦闘に様々な要素を取り入れる事ができる。
仲間を守る、トラップが邪魔、与えたダメージを反射してくるetc・・・
ここを考えるのが私は一番好きであり、逆を言えばここが私がGM時のミソであると言える。
私をニヤリとさせるも良し、逆に泣かせるも良し!

4)生ハム食べたい
生ハムは非常に美味しい。
トップバリューの格安品ですら100g298円という大変高級品であり、我々庶民には到底手の届かない品である。
しかし、たまに買って食べる。本当にたまに。代わりに色々節制している。生ハムの為に。
世界は生ハムを中心に廻っているし、世界の中心で生ハムを食べたいし、生ハムはエリンディルの英雄である。

5)マジックアイテムを必ずオリジナルで一個は出したい
なんとなくなこだわり。せっかくシナリオ組んでるならアイテム出したいね!っていう気持ちがある。
ただ、その装備でただ固定というのも面白くないので、ステータスは中途半端を目指してる。
『現状では強いが、育ってくると既存のマジックアイテムと交換するか悩む』辺りが私の目標。
これに関しては報酬金額などにも同じ。色々悩んでくれっていう迷惑GMである。

6)トイレに行くタイミング
ぶっちゃけ、戦闘中などでプレイヤーが一人欠けても行動が終わっていればゲームに支障はない。
ただ、戦闘でも審判的役割にあるGMの離席はプレイヤーを現実世界に引き戻すキッカケになりかねない。
かといって、所詮はゲーム。その為に漏らしたらラジオの悲しいネタにしかならない。非常に悩ましいのである、コレ。
いっつも願う。『お腹の調子が悪くなりませんように』と。
・若者叩きをAAで説明できちゃう理由
   r ‐、 
   | ○ |         r‐‐、
  _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
(⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  若者の○○離れとよく耳にするが、
 |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)  当時群がってたのは今のジジババ共だ!
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|  今の若者は、離れるも何も
│  〉    |│  |`ー^ー― r' |  最初から近づいてすらいないな!
│ /───| |  |/ |  l  ト、 |  
|  irー-、 ー ,} |    /     i      
| /   `X´ ヽ    /   入  |

これに全て集約され過ぎている。

私達より前の世代とは、たくさんお金を使う世代だったと聞く。
俗にいうバブル経済で、ジャブジャブ使ってもジャブジャブ返ってくるのが普通だったらしい。
土地を1000万円で買っても、少しすればその土地が2000万円になっていたのだそうだ。

しかし、バブルは弾けた。経済成長速度は一気に減速する。
この時、大人達は自らの行いを悔いた。使える限り使うなんてとんでもない事であると知った。
歴史に残る宗教だってそれを証明しているじゃないか。

こうして、彼らの子供達には大量消費の愚かさを説き、欲望に身を任せない大事な心を育てた。
それは何にも替え難い、彼らの愛情である。自らの子供に痛い思いなどして欲しくないに決まっている。

時代は再び流れ、子供は大人になった。大人は老人になった。
老人は嘆いた。何故今の若者は何にも興味を示さないのだろう、何も売れないじゃないか、活力がないじゃないか、と。

私としては自業自得というより「こうなる他になかったのではないか」と思う。
失敗した直後に、子供に失敗するよう教える親の方が頭がおかしい。
政治がどうこうする問題だったとか、後から考えれば回避方法はあったかもしれない。
が、皆がこれが最適であるという回答を選んだ結果が、今のこの状況を作ってしまっただけのように見える。

だからこそ、若者を叩くのは違う。かといって、老人を叩くのも違う。
違うのだが、皆余裕がない。輝かしい将来を描く余裕がないから、近場のものを叩いて発散せざるをえない。
叩かれた側も余裕がない。だから無視するか、怒りに任せて叩き返す。それがまた油を注ぐ行為になる。

そういう意味で、このAAは無益な争いを外から眺めた画期的なAAでもあると言える。
まさにバブル論争だ。若者はそもそも触れてない。なのに「離れた」と言われている。実は敵などどこにもいないのである。
いるとすれば精々”最初に火を付けたヤツ”くらいだろう。油を入れやすい場所に火を付けたヤツがいるのは違いない。
ヤツが何であるかは、人によって答えが違うだろう。私なら『マスコミ』と答える。だが、そこに意味はない。それだけの事だ。

意味ある行動とは、叩くのを止め、今後どうすればいいかの答えを探す事だ。
・ダメに なーりーそうなーとーき! それはー なにしてもダメー♪ と思う理由
鉄は熱いうちに打つべきだが、火傷して病院に送られちゃ意味がないからだ。
実際止めれないシーンが多いけどな!!
ダメそうな時でかつそれが止める事の出来るモノであるのなら、止めちゃった方がいいかもね。
・『アリとキリギリス』が違う話になっちゃう理由
大人になって振り返ってみると「あるぇ〜?」と思う事に気付く。
あの物語を一行で言えば、夏遊んでるキリギリスが冬に凍え、夏働いたアリが冬を悠々自適に暮らす話。
あれは子供達に、アリになりなさいと言っているように見える。まぁ当然と言えば当然だ。

そもそも、キリギリスは結果的に夏を謳歌した後冬にその代償を受ける。これは普通。
ただ、あれはアリ側のリスクが描かれてない。
実際のところ、巣穴が豪雨でパーになったり、大きい動物に踏まれて突然死んだりする事になるのだ。

そこら辺を大人になると皆分かってくる。
どうせ巣穴潰されたり突然死したりするなら、今日を楽しくキリギリスでもいいだろっと思う人がいても別段不思議じゃない。
善悪の区別は別としてだが、そのキリギリスが冬生き延びる為にアリの食料を奪おうとしても不思議はない。
アリからすれば理不尽な話だし、そうならないよう人間社会では、法という壁によってアリはある程度守られている。
ただ、その壁を突破された場合にはどうしようもないのだ。

で、今の日本はキリギリスも法の壁で防御してるから尚更難しい。
真面目がバカを見る社会なんてとても良いとは思えないけど、実際そっち方面に加速してる気がする。
・平等とか普通って言葉が大嫌いな理由
実際問題平等じゃないし、普通なんて基準はこの世に存在しないからに他ならない。

私の周辺だけだったかもしれないが、子供の頃大人は何かに付けて”平等””普通”という単語を使ってきた。
私はどれだけ、この言葉に傷付けられたか分からない。
今この言葉に傷付いている人には、是非私の話を聞いて欲しいと思う。
少し長い上に自虐ネタなので、苦手な人は回れ右!

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「こんな事は、普通出来るんだ。皆平等なのに、何故お前は出来ないんだ」

こんな言葉程、子供を傷付ける言葉はそう多くないだろう。
私は幼少時代に小児喘息、花粉症、猫アレルギーの三重苦で、それはもう身体の弱い子供だった。
喘息はいつ発作が起こるか予想が付かない。
猫アレルギーは、他の人の服に猫の毛が付着してただけで一日中くしゃみ鼻水が止まらなかった。
唯一対策が取れるものが花粉症である。

春先、マスクを付けて学校に行こうものなら『マスクマン』などとあだ名を付けて弄られる。
教師までが「そんな大げさにマスクなんて付けてくるな」と言ってくる始末。

翌日、マスクをせずに登校する。すると「昨日のは仮病だったのか」などと言われる。生徒と教師から。

で、さらに翌日に風邪をひき学校を休む。
花粉症で鼻が詰まる→口呼吸になる上、喘息で菌を外に出す能力がほぼ0だった為で、当然の結果である。

風邪が治り学校にいくと、教師が私にこういった。
「体調管理がなっていない。”普通”そんな事では風邪なんかひかないんだ」

これは私が25歳になった春先に聞いた話だが、当時母親までも職場で言われていたそうだ。
「”普通”あんなに弱くはならない。貴方が過保護なんじゃないの?」

私は”平等”だったのだろうか。
確かに五体満足に生まれてくる事ができた。その事に関しては両親に感謝している。
しかし、健康な身体を何の不自由なく得ている他の子供達と、私は”平等”であったろうか。
当時の私に「足の一本でも無くなっていれば良かったのに」と言われた母親は”平等”であったろうか。

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さて、例としてちょうど良かった過去話はこれくらいにして。

平等という天秤にかけられ、普通かそうでないかで判別される。
こんな理不尽な事があるだろうか。

ようは、平等だの普通だのという言葉は”発する側の基準に基づいて作られた価値観”でしかない。

日本の金持ちの家に生まれた子供と、南アフリカの子供が平等にメロンをおやつに食えるのか。
携帯ゲーム機で遊ぶ子供が、未開地の民族が普通に出来る動物狩りを行えるのか。
第三者的立場になって考えてその矛盾を明らかにした時、いかにこれらの単語が発する側の基準でしかないのかが分かる。

平等だの普通だのという言葉は、その集団である程度のパワーを持った者が
”自分に最も都合よく他者を操る”為に使用する言葉である。
ここでのパワーとは色々で、会社なら社長や上司、学校なら教師、家庭なら親などの親族の事だ。
「私に合わないお前は異端で気持ち悪いから、私の言う通りになれ」と言っているのである。

しかし、彼らはそんな事を言えば誰しも嫌がる事を知っている。拒絶するのを知っている。攻撃行動だと知っている。
だから言うのだ。
「こんな事は、普通出来るんだ。皆平等なのに、何故お前は出来ないんだ」と。
彼らは「お前が悪い」と言ってくるのだ。

子供は、それが攻撃行動だと分からない。いや、大人になっても分からない事が私には多い。
そして、言われた側は出来ない自分を責める事になる。
誰でも出来る事が出来ない自分は、最低な人間なんだ、と。

だから、もしそんな事を言われて悩んでいる人は気付いて欲しい。
それは相手の勝手な物差しで、貴方の物差しじゃない。
貴方に出来る事があれば、出来ない事だってあるに決まってる。それに気付いて欲しい。
・GMやってる時に考える事の優先順位とその理由
1)プレイヤーのテンションを上げたい。これ重要。
2)プレイヤーの考えた設定を後付け設定で上手く絡めたい。物語っぽさ出るし。
3)パワーゲームにしたくない。仕掛けとダブルで虐めたいし、私を逆に虐めて欲しい。
4)生ハム食べたい。生ハムは美味しい。生ハムはエリンディルを守っている。
5)マジックアイテムを必ずオリジナルで一個は出したい。可能なら全員分出したい。
6)トイレに行くタイミング。実はすっごい悩んでいる時がある。
・”初心者マークは恥ずかしい”なんて発想自体がおかしい理由
誰しも最初は初心者である。何だってそうだ。車の運転に限った事ではない。当たり前の事だ。

それを恥ずかしいって思うという事は、その人は逆に初心者マーク付けてる人を
「うわこいつ初心者wwwwwpgrwwwwwww」と思っているワケだ。
そっちの方がよっぽど恥ずかしい。小学生までなら仕方ないかも級。
・他人の腹を探っても仕方がない理由
人間という生き物をやってると時折「この人は何を考えているのだろう」と思う事がある。
特に、それは自分に関する事が多い。
「この人は私の事をどう思ってるんだろう」的なのがまさにそれ。
しかも、仲が良く見える相手になればなる程こういう気を起こすのは私だけではないかと思う。

しかし、例えばその人に「私の事、どう思う?」と聞くとする。
すると「良い人だと思ってるよ!そうじゃないとそもそも付き合わないでしょ」的な答えが返ってくる。
これで納得できる人なら、貴方は私より心が綺麗な人だ。

私はさらに疑ってかかる。
そりゃー、仲良いと思ってる相手に「どう思う?」なんて聞いて、否定的な答えが返ってくる可能性のが低い。
仮に腹の中で何を考えているにせよ、表立って否定的な事は言わないだろう、と。

かといって「ぶっちゃけお前嫌い」と言われれば、それはそれで落ち込むだろう。
そりゃそうだ。自分が仲良いと思ってたのが、実は一方通行だったわけだ。聞いて大損である。

つまり、何を言われてもダメなのである。
何故なら”自分自身が仲が良いと思っている他者を疑ってかかっている”からである。
仲が良いなら疑う必要性はない。この行動自体が矛盾を孕んでいるのだ。
さらに言えば”疑ってかかっている自分自身は、他者をどう思っているのか”まで思考が巡るとタチが悪い。
ネガティブ思考の螺旋階段をぐーるぐる降りていく事になる。

なので、他人の腹など知ろうとしなくていい。エネルギーの無駄である。

※ただし、ビジネスの場合は例外になる。あれは知略戦争だからだ。
 相手の一歩二歩百歩先を読む必要性が出てくるからに他ならない。孔明最強伝説。
 友人関連とは全くの別モノで、こっちは逆に疑ってかかった方がいい事があるから人間とは難しい。
・適当に生きればいいと思う理由
正社員として真面目に勤めていても、上司や部下に「何故出来ないのか」「もっと○○しろ」などと叩かれる。
派遣やバイト、無職だったりすると、家族や社会に「将来どうすんの」「お前に税金払いたくない」などと叩かれる。
辛いので自殺すれば、全く知らない人や家族に「迷惑かけんな」「何で死んでしまったの」などと叩かれる。
じゃあもういっそ産まれなければいいんじゃね!と思いきや「出生率が低く将来が心配」などと別の人が叩かれる。

つまり、適当にやってりゃいい。周りも適当言ってんだから。
・「感想が欲しい!」と嘆いてはいけないたった一つの理由
それは”誰一人として得をしない”からである。

創作活動なんぞをしていると、やはり感想が欲しいと思ってしまうもの。
私自身だってこんな事を書きながら、感想が得られたら嬉しいとは思っている。
創作関連のページに「感想お待ちしています」とか書くのも実に創作者らしいし、何の問題もない。

ただし、一つだけやってはならない事がある。
それは、絶対に「感想が欲しい!」と嘆いてはいけないという事だ。
何故なら、感想とは見る側、つまり受け手が自然に発信する情報だからである。
我々の作品を見て感動したにせよ怒りを覚えたにせよ、それを発信する権利も自由も、全て受け手側にある。

ここで「感想が欲しい!」と創作者が嘆いた場合、どうなるのか。

まず、受け手側は創作者を見限る可能性が高い。
何故なら、権利や自由を束縛されるからである。
毎度感想など浮かぶ作品でもないのにそんな事を言われたら余計である。

次に、受け手側がそこで感想を発信したとしても、それは感想ではない。それはもう”哀れみ”である。
先に、感想とは自然に発信する情報であると述べた。
創作者がそれを誘発させた時点で、それはもう感想とは言えない別のモノである。

また、創作者本人にも得はない。
何故なら、嘆いた結果の感想というニセモノを得ても、心の乾きは潤わないからだ。
”嘆いたから貰えた”と本人が分かっているのだから当然である。

つまり、誰一人として得をしないのだ。
受け手は面倒臭いし、創作者も満足はしない。
だから、絶対に感想が欲しいと嘆いてはいけない。

創作者は常に砂糖を求める。
しかし、砂糖は自然に発生するものである。
それを自分で作っても、それは人工甘味料でしかない。
人工甘味料はとっても甘い。しかし、すぐまた欲しくなる。云わば中毒状態だ。
天然の砂糖を口に入れない限り、乾きが潤う事はない。
やがて砂糖と人工甘味料の区別が付かなくなり、最後にこんな事を言い出すだろう。

「感想が貰えないから創作活動を止めます」
・ここに一枠残している理由
ここでおしまいですよ☆(ゝω・)v と貴方にお知らせする為。
読み終えたらトップに戻ればいいんじゃねーの?